俺お前あいつそいつ
全然見なくておけ。
86まだ買ってないのに86のGRMNカスタム調べてたらちょうどアップされてたから見てたら、
「あーお前って言っちゃった、、僕俺とかお前って言葉偉そうで好きじゃないんですよ」
ってこの人(多分ENTP)が言ってて、あーそういう感性大事よねって思った。
自分の経験上、ENTPの人ってこの辺めっちゃちゃんとしてる人多い気がする。
で、自分の方だけども、普段記事を読んでくれてる人なら分かる通り、自分は口が悪い。俺とかお前とかこいつとかあいつとかそいつとかばっか言ってる。
こういうのを上品下品で言うなら間違いなく下品だと思うけど、割とマイルールがあったりする。
要は↑で書いたプライドコントロールの問題って片付け方をしてる。
一二三人称それぞれで結構違うからちょっとまとめてみる。
一人称
思いつく一人称全部並べて査定してみる。
俺
成人男性の大半がこれだろう。自分も使うことが多い。
調べたら江戸時代くらいまでは女性も結構使ってたみたいね。
言葉を考える上で大切なのは”本来”よりも”大体”の感性だと思っている。元が〜だからその使い方はおかしいみたいなのは、ギャグにでも使えば面白いけど、真顔で説教でもされれば寒いだけだ。
俺について”大体”で考えれば、偉そうor何も感じないくらい普通、のどちらかじゃないか。偉そうなのが当たり前って感じだろうか。
男をやってれば小学校上がる前くらいにはちょっと背伸びしたくなって手を出す一人称だと思う。少し強くなったような気になれる魔法の言葉。その内それが習慣化されて当たり前に口から出てくるだけ。
俺を職場の目上の人に使うのは上級者か無礼者だけだろう。つまりカジュアルな表現だと思われてる。
さて、これを自分が多用するのは、フツーでカジュアルだからでしかない。大抵の人はよほどひねくれてるとかでも無い限り、元の意味が偉そうでも実際は偉そうだとか感じないだろう。
↑ここで書いたように、自分は自分をそれほど高くも低くも重んじてない。だから、このフツーでカジュアルな感じが一番しっくりくる。
僕
俺の対義語に当たるような謙虚な言葉として認識されている気がする。下僕て言葉に使われるくらいだしね。
たまに使うことがある。年上の人、特に女性と話すときに使っている気がする。「あなたをナメたりしてないですよ、身分弁えてますよ、警戒しなくて大丈夫ですよ、安全ですよ」を小刻みに印象抱いてもらうみたいな目的がある。
難しいのが、あんまり歳の差が無かったり、相手側がフランクな方だったりした場合は下手に出過ぎた感じが出ちゃって、相手にやり辛さを感じさせちゃうこともあるから初手で使うことは少ない。
それから、実際には生粋の雄なのに、ボクっ娘みたいなナヨナヨボーイだと思われてしまってそれが悪いギャップに働くこともたまにあるから、頻度とかも大事だったりする。あんまないけど。
そのくらい自分の中ではセンシティブな一人称。
そんな難しい言葉なのに活躍どころが少ないからわざわざ好んで使う必要があまりないってのが実情。上級者だけが使えばいいんでないだろうかくらいの距離感。
自分
もしかしたら俺より使ってる。関西人が相手でも無い限りややこしさは生まれないし、何より汎用性が高い。
ビジネスからカジュアルまでどこで使っても相手を不快にさせない一人称じゃないだろうか。英語でいう「I」に当たると思う。極限まで薄めた形而上学上の自分という感じが自分的にサイコーにクールに感じる。
僕の項で語ったように、相手より下手であることをほんのり伝えるのにめっぽう便利なのが自分という一人称だと思う。しかもやりすぎてないから僕より難易度が低くて初級者向けである。自分を語るのに一人称をあれこれ考えるコストを割きたくないので、伝家の宝刀として使ってる。
なんとなくだけど、よくギャグで使われる「自分、不器用なもんで」が多くの人から愛されてるのもそんな謙虚さから来るんじゃないだろうか。
女の子が使ってたらちょっとファニーに受け取られやすいと思うので、こんな便利な一人称を多用できる点では男に生まれて心底ラッキーだっと思う。
この一人称は、相手と完全に横並びで対等な関係を築いた場合のみ使わない。なんか嘘くさくなるから。この使い分けが自分の中でコツだったりする。言い換えれば、自分と言ってる場合は決して相手を見下したりナメたりしてないサインのつもりで受け取ってもらえると嬉しい。
私
ジェントルマン御用達の一人称だと思う。
これは大人になってから使ったり使わなかったりだ。
ビジネスや難しい話をするような場ではこれを使う。
日常では滅多に使わない。使っていたとしたら半分ギャグのつもりまである。
なんだろう、明らかに育ちが良くて品行方正な人が使ってれば様にもなるだろうが、自分みたいな粗野な人間が真顔で使っているのは幾分ぶりっ子が過ぎてて気持ち悪い。だから、正直ビジネスとか難しい話をしている時の自分に笑いそうになることがある。ぶってるなあって。
逆を言えば、男性でこの一人称が様になる人は得してるというか、最高の一人称だったりするんじゃないだろうか。同性の自分から見ててもこの一人称が様になる人のトークは聞いてて惚れそうになったりする色気を感じる。
そんな使い手を選ぶ難しい一人称という印象。
わし
歳でも取ったらこれも取り入れていこうかなとたまに思う。
この一人称の良いところは、男とか漢であることを印象付けながらも雄である印象はあまり残らないところじゃないだろうか。
年老いて若いねーちゃんに鼻の下伸ばしてるのはおもろいけど、幾分か目に余るのも事実だし、自分の下半身と相談しながらわしに移行していくのは男道なのではないかとかちょっと思ってる。千鳥の大悟とかみたいに。知らんけど。
関西の方とかだとメジャーな一人称だったりするみたいだけど、お得なのか損なのかは微妙。俺と大差無い気がするから、年重ねて移行するイベントがない分損の方が大きいのかなとか。
ミー
どっかの誰かの所為でこの国ではすっかり薄ら寒い死語になってしまったのではないか。
以上
一人称総評
俺、自分が筆者にとっての王道パターンとなる。
あまり自身に重きを置いて他人と関わりたくないのであらゆる方面でコストが掛からないことを最重視した結果となる。
次。
二人称
あなた
こんなの説教でもするとき以外使ってる人いるんだろうか。
それくらい使ったことがない。
ひろゆきとかの「それってあなたの感想ですよね」が流行ってるから意外と皆使ってるのかな。
ギャグでも無い限り、他人を突き放したような物言いになるから縁が無い。
君
これはあなたを少しばかりカジュアルにしたような印象。
カジュアルダウンしたのはいいけど、返って見下しの印象がかさ増しされた感じすら出るからもっと使わない。
呼び捨て
安牌。
人には名前があるのだから名前を呼んであげればいいではないかと思う。
ただ、歳を重ねて少し使用頻度は減ったかもしれない。特に女性に対しては。
なんだろう、失礼な話かもしれないが、呼び捨ては素朴な良さがある一方でその人が持つ色気までこちらの呼び方一つで薄めてしまうような力強さがある気がして、その後に敬称じみたものを付与して緩和したくなる感覚がある。
サンジがナミさんロビンちゃん呼びをしてるのはなんとなくそんな感覚から来てたりするのかなとか勝手に想像したりする。
野郎の友達を相手するときは一番親しみを込めやすくて気に入ってる呼び方。
ちゃん / くん
呼び捨ての綺麗版って位置付け。
一歩間違えるとナメてるとか受け取られるので慎重に使いたい呼び方だけど、最初からこう呼んでいればナメてるにはならないんじゃないかとか現在進行系で研究中である。
女の子に対してのちゃん付けは上記の通りだが(ちゃんってシンプルに可愛いから平和)、野郎に対してのくん付けは基本的に兄貴分みたいな人にしか使わない。それくらいしかナメてる感じが全面に出てしまって侮辱甚だしいからだ。自分より目上だけど近くにはいたい相手にはくん付けである。
さん
一人称でいうところの自分にあたる万能薬扱いしてる。
困ったらさん付け。
ただし、ちょいと遊び心を出しやすいのがさん付けの楽しいところだと思う。
同性の後輩に使えば謙虚に受け取ってもらえるし、異性の後輩に使えばサンジのナミさん呼びが如く下手からレディを立てる素行と思ってもらえる場合もあったり(年上のロビンにちゃん付けするから粋というセット)、兄貴分に使えば絶対服従の忠誠を相手に印象付けられたりする。
お前
基本的にガラ悪い印象が先走るだろう。
使ってて得なことはほとんど無いと思う。
自分がこれを使う時は大なり小なり相手にキレてるときである。衝動で使ってるのではなくてかなり理性的に使ってる。男女どちらにも使う。
要は、相手の傲慢さが垣間見えて不愉快だったときの通告である。
大事にしてる匙加減として、言いくるめようとして支配的に言うのではなく「気づいてた?気づいてないなら胸に手当て考え直せ、気づいた上でなら好きにしな」のニュアンスで言う事である。俺は不快だぞそれ、と伝えるだけ。忠誠を相手に誓わせるのではなく、諫言である。その反応でこちらが去るべきか留まるべきかを測っている。
なので敢えて別の表現でイメージしてもらうなら、
「お前は〇〇ですか?」
というニュアンスだ。
割と、元来のお前の意味通り、敬語の意味合いも同時に込めている。
正直関西人だったら自分という便利な言葉が二人称として使えるので心底羨ましかったりする。筆者が使うお前に一番近い語感であるから。
ユー
ミーと一緒。使う価値なし。
二人称総評
ちゃん付け、さん付け、呼び捨て、お前を行ったり来たりしている。
最もエネルギーを割くべきは目の前の人だと思っているので、この使い分けは自分なりにかなり大事にしてる。
一般的ではない自覚はあるが、お前は親しみと敬意の証であるという屁理屈を大事にしている。
次。
三人称
一応使い分けはあるんだけど、誰かと話してるときに大事なのは目の前の人であって、ここにいない誰かとかどうでもいいので、正直そんな拘りない。あの人だろうがあいつだろうが意味は大差ない。相手にとって由のある人の話だった場合にだけ少し丁寧な言い方をしたりするくらい。
ので、詳細は割愛。
まとめ
また芸人のネタバラシみたいな記事になってしまって大分恥ずかしいけど、皆の拘りとかも聞けたりするかもなと思ったので書くことにした。
おわり