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自分がショボく見えるのは、誰かと比べているから。

ここ最近の僕の楽しみは、とてもショボいことです。

「ショボい」なんて言葉自体、最近ではあまり使われなくなっていますが、僕が小学生の頃は、よく使っていた言葉の一つです。

例えば、友達数人と駄菓子屋に行ったとき、僕が100円分の駄菓子を買っているのに対し、友達が40円分の駄菓子を買っていると、僕はそれを見て、「ショボ!お前、これだけ?」なんて、よく言っていました。

その友達が、「いや、一昨日、くじ付きのチョコを当たるまで買ってたら、金がなくなったんだよね…。だから、お前のやつ、一口ちょうだい!」と僕に頼み込んでいたのも、よく覚えています。

いくら、自分のせいだと分かっていても、その時の「ショボさ」を虚しく感じれば、誰かの駄菓子を奪ってまでも、感情を誤魔化したくなるのです。

そんな僕は、大人になってからも安いものが好きらしく、最近ではローソンストア100にドハマりしています。

和菓子、洋菓子、パン類など、ありとあらゆるものが108円で販売されていて、味のクオリティも申し分ありません。

昨日なんて、108円のみたらし団子と食パン(8枚スライス)が50円引きで売られていて、テンションが上がった僕は、どちらも購入し、生き生きとした表情で店を出ました。

右手にみたらし団子、左手に食パンを抱えて歩いていると、僕と同い年ぐらいの男子や女子とすれ違いました。

彼らは、アパレルブランドの袋を引っさげたり、北欧家具ショップの袋を肩にかけたり、英語表記が書かれたドリンクを持っている人なんかもいて、とても華やかです。

彼らが前から近づいてくるたび、なぜか僕は、みたらし団子と食パンを後ろに隠すようにして歩きました。

彼らも僕も表情は生き生きとしていますが、彼らの手には高価なものがあって、僕の手には安価なものがある。

他人と比較した瞬間に、自分の楽しみがショボく見えてきたのです。

できれば、ショボさをバレないようにして、誰にも見つからないようにしたい。

そんな自意識を抱いた瞬間、ものすごく恥ずかしくなりました。

しかし、その恥ずかしさも、家に着くとすぐに消えます。

比較する対象がいなくなった瞬間、熱いお茶を淹れはじめて、みたらし団子を口いっぱいに頬張り、50円引きのシールを何度も確認しながら、幸せを感じます。

別に、ショボくても良いか。

たとえ、少ないお金で得る楽しみだとしても、高いお金で得る楽しみより価値がないとは限りません。

目の前のものに向き合っていない自分が、楽しみをショボくさせているだけのです。

次からは、50円引きのみたらし団子と食パンを持って、堂々と街を歩きたいと思います(笑)。

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稲本稲三
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