「押しつけがましい」とは、自分以外を間違っているとみなすこと。
「お前って、押しつけがましいよねー」
こう言われて、嬉しい思いをする人はいないでしょう。
僕は、自分の考えを言葉にして発信することが多いので、自分が押しつけがましくなっていないかを、すごく気にしてしまいます。
もちろん、押しつけがましいと感じるかどうかは、人によってさまざまなので、僕自身が判断できることではありません。
ただ、自分の考えも言えないようになってしまっては、人として生きている醍醐味がないので、「押しつけがましい」を定義化して、その線を越えないように発信することにしています。
「押しつけがましい」とは、自分以外を間違っているとみなすこと。
これが、僕の考える「押しつけがましい」の定義です。
自分の考えを持つ分には何の問題もないですし、それを言葉にして人に話すことも、問題はないと思います。
一番大事なのは、他人の考え方にふれたとき、それをどう判断するか。
ここで、押しつけがましい人と、そうでない人の差が生まれます。
自分と違う考えの人が、自分と異なる行動をとったとき、押しつけがましい人は、簡単にこんなことを言います。
「この人は、バカだから…」
「お前、頭悪いな!」
「コイツ、何も分かってない」
もちろん、ある程度答えがあって、それを学習したうえで間違えているのであれば、そこに対してツッコミを入れても問題はありません。
しかし、自分の考えと異なるからといって、その人を否定することは絶対にできません。
なぜなら、明確な答えが絶対にないからです。
自分の考えでたまたま上手くいったとしても、それがみんなに当てはまるわけではないし、もっと良い考えだってあるかもしれません。
それでも、自分の考えを否定されるのが怖くて、相手を強制的に同意させたいから、つい押しつけがましくなってしまうのです。
そういう人ほど、他人に向かって「お前って、押しつけがましいよね」と言ったりします。
それだけ、自分の考えが間違えていると思いたくないのです。
そもそも考え方には、正解も不正解もないのですから、自分が生きやすいと思える考え方を、その場その場で選択していけば良いと思います。
自分の考え方に縛られすぎて、自分の首を絞めるのは良くないし、他人の首を絞めるのはもっと良くありません。
この考えもまた、押しつけがましいと思われちゃうかもしれませんが。
面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!