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インスタに載せられる友達じゃなくてごめん。

だれもがSNSで自分の日常を載せることができる時代になって、一見、友達との心の距離は、さらに近づきやすくなったような気がします。

しかし、こういうものは、浅い関係性の友達のことを知るには良いのですが、深い関係性の友達がSNSで発信していると、心の距離を遠く感じる人もいるでしょう。

特に距離を感じるのが、インスタグラムの投稿。

よく遊ぶ高校の同級生が、僕の知らない人と、僕としたことのない遊び方をして、僕が知らない表情で映っていると、とてつもなく距離を感じます。

不自然な光が注がれた写真に、意味はよく分からないけどカッコつけた短文が添えられていて、浅いつながりの女友達からの薄いコメントがあって、だんだんと英語表記のアカウント名にも腹が立つ・・・。

そんなオシャレ投稿を見ながら、「俺は、アイツのインスタには採用されない友達なんだな…」と思い、少し落ち込んでしまいます。

それと同時に、「でも、俺はアイツのことを、こんなふうには楽しませてあげられないよな…」と考えて、自己嫌悪にも陥ります。

自分だけがそんな感情を抱え込むことに我慢できず、つい先日、オシャレインスタを投稿している張本人である、高校の同級生・代々木くんにこの話をしてみました。

すると、その場にいた高校の同級生の宮里くんも、僕の話に共感してくれました。

「代々木くんのインスタ、キラキラしすぎていて、見てられないよな・・・。なんか、俺たちとは住む世界が違うんだなーって思わされるわ」

宮里くんも、僕と似たようなことを思っていたらしく、ちょっとしたアレルギー反応があったようです。

この話を聞いた代々木くんは、「お前ら、俺のインスタに載りたくないだろ!だから、載せてないんだよ!」と、一生懸命に僕らをSNSに載せない理由を説明していました。

確かに、載せてもらえないと落ち込むのに、載りたい願望はないし、むしろ載せられたら「やめてくれ」と言うでしょう。

じゃあ、このモヤモヤした気持ちは、なんだろうか。

結局のところ、思い出に差をつけられることが、辛いのです。

SNSというのは、「自分の日常を誰かに話したい」という欲求を満たす場所だと思います。

僕との写真を載せなくても、僕と一緒に行った場所の景色の写真とか、一緒に食べたものの写真とか、やり方はいくらでもあるはずです。

代々木くんのインスタを見ると、僕は確実に、シェアしたいと思えるほどの思い出を作れていないことが分かります。

みんなに話したいと思えるほどの思い出を作れない僕と、友達でいていいのだろうか。

そんなふうに考えてしまいます。

でも、それを考えることは辛いので、僕は友達のインスタはなるべく見ないようにして、純粋に友達との時間を楽しんでいます。

ただ、今回は、そのときの辛い感情を思い出した方が、良い文章を書けると思ったので、久しぶりに代々木くんのインスタを見返してみました。

そこで、まさかの事実に気づきました。

宮里くん、代々木くんのインスタに載ってるじゃん・・・。

しかも、何回も載っています・・・。

きっと彼はやさしいから、気を遣って、僕の話に合わせてくれたのでしょう。

同じ高校の同級生でも、宮里くんはシェアしたい友達で、僕はシェアしたくない友達か・・・。

まぁ、そうだよな・・・。

あぁ、なんか、自分を嫌いになりそうなので、友達のインスタを見るのは、しばらく禁止にしたいと思います!笑

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