リタイアする勝ち組サラリーマン。大企業役員がいくらもらって、何を考えているか。若いうちに知るべき定年の姿
1)役員の管理。エクセルで。
エクセルに役員の名前をズラズラと入力していく。
「この人は継続、この人は昇進、この人は降格、この人は退任」とどんどん振り分けていく。事前に人事部からもらったトップシークレットの人事情報をもとに無機質に、役員管理表のエクセルに入力していく。
区分をし終わると、退任する役員へ説明資料を作成していく。ぼくの定型業務だ。
ワードで今後1年間の顧問料報酬、ストックオプションの使い方、その他もろもろの手続きに関する説明する事を打ち込んでいく。
ワード資料でフォーマットがあるので色付けした部分のみ変更する。
2)新任する役員のあるある
4月1日の新年度が始まるにあたり、その年度に向けた人事異動が1~2月にある。これはどの企業でも一般的だと思う。
その人事異動は役員も同様で、1~2月に新任者・退任者が決まる。
ぼくの出番として、新任役員と退任役員に、これからの処遇や給与体系についての説明をする。
役員フロアに呼びつけ、あーやこーや話すのだ。
新任役員はホクホクだ。給料UPは当然のことながら、そのポジションは特別で、社員とはまるで異なる扱いになる。役員のみ規程もある。その規定の管轄としては秘書部であり、一般社員は当然知らない。
それゆえ、ベールに包まれている部分があり、社員からも「あの人役員だ」という扱いになり、自尊心はこの上なく上がる。
「新任役員あるある」として、新任役員に「あなたの年棒は3500万円です」と言うと、笑みを殺すためか、顔の表情がムスっと無表情になり、表情筋がピクピクする。隠さずに喜べばよいのに、みな慎ましい。
ちょっとした常識であるが、役員になると社員ではなくなる。
別の言い方をすると雇用契約が委任契約になる。運用上はほとんど同じであるが、1年更新の契約で、成果が出なければ1年で契約終了、辞任となる。実際には、そんな事例は聞いたこととないが、要するにちょっと違うわけだ。
当社の例で言うと56歳から61歳くらいの5年間程度役員になるのが、上場企業として、これは一般的だと思う。
給料がバンっと2倍近く上がるので、おそらくその役員期間だけで、ざっと1億円は銀行口座に残るであろう。羨ましい身分である。
なので、新任役員はホクホクだ。
「どんなキャリアを積んできたんですか?」とぼくがきくと、多くの場合、30分間は語り続ける。役員になるひとは饒舌だ。
世間的には、傾聴が大切といわれる。しかし、役員になる方はよく話す。よく語る。思いが強いタイプなのだろう。
さらには、「どんな事をやりたいのですか?」と聞くと、これに関しては語りが薄口になる。未来に対してはあまりイメージできないのだろう。ボヤっと歯切れのわるい回答になる。なかには「それは社長と相談して決める」なんて、やや他人任せな方もいる。
いずれにせよ、会社員の大成功者であることは間違いない。
3)退任する役員のあるある
退任する役員にも、ぼくが、処遇の話をする。こんな感じだ↓。
「山田さんは、今年で役員を終わりますので、健康保険の任意加入手続き、住民税は個人支払に、ストックオプションの行使は10年以内です。最後に秘密保持と他社に就職不可に同意して、念書を書いてください。」なんて、事務手続きする。
最後通告をする役割が秘書室だ。
今年度も、山本、三田、竹下、西田、福山という役員が退任することになった。それぞれ秘書室の会議室に来てもらい、1~2時間ほど話をする。
ただ事務的な話をしても面白くないので、退任役員には
「これだけ忙しかったのに来月から仕事がゼロになるわけですよね。何するんですか?」なんて質問をする。
すると多くの人が、「ん~、わからん。しばらくゆっくりするよ」という回答がくる。
そんな一般的な回答を貰っても面白みがないので、さらにツッコむ。「とはいえ、めちゃくちゃ暇じゃないですか。趣味とかないですか?」と。
それでも面白い答えは返ってこず「ん~、ないね~。ゴルフも毎日は出来ないし。未定だね。妻と旅行くらいかな」と言ってくる。「そうですか・・・」とボヤっとした会話になって終わるのが常だ。
過去ひとり、「上智大学で史学を学び直す」と熱心な役員もいたが、極めて稀である。
ぼくは50人ほどの役員に、同様の質問をした。ほぼ同じ回答である。
4)会社生活をおわるということ
2万人ほどいる企業のなかで、極めて限られた人のみが役員になれる。会社員としてはTOPオブTOPと言ってもよい。しかも、うちの会社は規模で日本の100番以内には入っている大企業だ。世間的にも尊敬の眼差しをうける。
その役員はイメージとしてはスゴイ人と想像してしまう。
確かに仕事もでき、給料も高い、責任・権限も大きいだろう。ただ、役員でなくなり、いわゆる老後を迎えたときに、とても小さな存在になってしまう。
この退任役員の対応時期になると、その切なさをいつも感じる。これは会社員にとっては誰もがおなじだろうが、役員になると余計にそのギャップを感じる。
残念ながら、大組織にはいくらでも変わりがおり、どんなに存在感があった人でも、退職してしまったら、ほとんどの人が忘れる。
極端に言えば、誰も覚えていない。
情熱を注いで、仕事をしてきたのに、まるで存在しなかった人の様になる。この点はさみしいものだ。
ぼくはリクルート出身で校長先生をしていた藤原和博さんが好きだ。その藤原さんが、
「自分の家族と自分のコミュニティにのみ、自分の生きた記録が残る」と話していた。そんなことを思い出す。
大企業は、その点、自分のコミュニティとは言えず、生きた記録は残りづらいかもしれない。
それはTOPオブTOPの役員でも同じということだ。さらには役員ともなると仕事以外に時間を投じておらず、仕事がなくなると多くが失われる。
名門学校である灘中、灘高を卒業し、東京大学入学。そして会社のエリート街道を駆け上り、常務になった役員がいる。
本当か不明だが、周囲にいる人が「あの人は機械のよう。退任したのちには何も残らない。友人もいない。」なんて悪く言っていた。そんなこともあるかもしれない。
幸せの形は人それぞれなので、本当のところはわからないけど、そんなことを言われていた。
いずれにせよ、役員になったからと言って、幸せになるかは不明。
退社した後に、やることが何もないのは、役員も同じで、上り詰めただけに仕事がない生活にギャップがある分、余計にシンドイのではと思ってしまう。
とはいえ、老後に1~2億円は貯金として持っているので、金銭的には豊かすぎて羨ましい(それも、使い先はないかもしれないけど・・・)。
5)無機質な作業
退任役員への事務的な説明が終ると、「ふー、終わった。」と秘書室のデスクに戻り、エクセルの「現役役員リスト」から名前を削除する。
それから、その人のペーパーファイルを「現役役員キャビネット」から「退任役員キャビネット」へ移して、一連の流れは終了である。
そこには長年勤めた人をいたわる感情はまるで無い。40年間勤めた会社を去る時に、裏ではこんな冷えた作業をしている。寂しいものだ。
人生の多くの時間を使い、組織で成功者になった初老の人達を見送りながら、自分のおわりの時を考えてしまう。
あらゆることに終わりがある。
会社勤めも、熱中した仕事も終わりがある。その終わるときに、納得がいく、良くやったと過去を振り返れるようにしておきたい。
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