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あらゆる制約を自在化できる世界|稲見昌彦×石黒浩対談シリーズ 第2話

ロボット工学者/大阪大学教授の石黒浩氏が、自在化身体セミナーに満を持しての登場です。人に酷似したアンドロイドや遠隔から操作できるアバターの研究で知られる石黒教授は、各方面で精力的な活動を展開しています。内閣府の「ムーンショット型研究開発制度」では、目標1の「誰もが自在に活躍できるアバター共生社会の実現」のプロジェクトマネージャー(PM)を担当。2025年の大阪・関西万博では、テーマ事業プロデューサーの一人として、「いのちを拡げる」をキーワードに50年後の世界像を描きます。2021年9月には、アバターを用いた実世界の仮想化と多重化を掲げるベンチャー企業「AVITA」も立ち上げました。人間の進化を共に目指す「同志」として、稲見教授との対談は予定時間を大幅にオーバーし、自在化の起源から人類の行方まで、思う存分語り尽くしました。(構成:今井拓司=ライター)

10万年先の人類の姿

話題は石黒教授がテーマ事業プロデューサーを担当する、大阪・関西万博の企画に移ります。展示の主題は50年後の未来。ただし石黒教授は、その先に続く人類の進化まで見据えます。

石黒 今度の万博で、うちは50年先をシミュレーションするっていうのを宣言しちゃったんです。万博のテーマは「いのち」なんだけど、僕のテーマは「いのちを拡げる」。「いのちを拡げる」っていうのは、テクノロジーでいろんな人間の能力の拡張が起こりますよ、ロボットも含めてそれに近づきますよ。要するに、テクノロジーと人間の境界がなくなっていくことを展示したい。

 50年前の大阪万博は一番成功したんだけど、あのときはエコも何も関係ないし、未来に人間がどういうふうになるかなんてなくて、とにかくテクノロジーに支えられながら豊かな生活を送る(未来が来る)と。それで、いろんなものを作らないといけないって、必死だったんですね。

稲見 「人間の進歩と調和」でしたっけ。

石黒 そうそう、人類の進歩と調和。いろんなテクノロジーを見せる中で、真ん中に岡本太郎のテクノロジーに歯向かうような、「人間の命は爆発だ」「芸術は爆発だ」みたいなの(太陽の塔)があって、そのコントラストがすごく面白かったんだけど。

 50年たって何が変わったかっていうと、人間はもう自分で遺伝子操作できるし、地球環境、生態系を壊そうと思えば何回でも壊せるわけで、要するにテクノロジーが随分と進んで人間そのものも環境も人間がデザインできるようになった。

 そのデザインに責任を持たないといけない。かつては神様の役割だったのが人間の責任になった。未来は人間がデザインしないといけないんで、神様に聞いちゃいけないんですね。人間をどう進化させるかって、自分たちで答えないといけない時代になってきた。

 じゃあ今後50年たったらどんなことが起こるのかって、ずーっとこの1年ぐらい協賛企業と議論をしてるんです。僕的にはある程度答えを持ちながら。万博のパビリオンの中で50年先の未来のシーンをつくろうとしてるんですね。

 もちろんムーンショットのアバターの技術、ふんだんに入れます。ロボット、山盛り出てきます。もちろん稲見ERATOから何か面白いものがあれば、ぜひ出してもらえるといいなと思いますけど。 

稲見 それはうれしいです。

石黒 未来のシーンをつくるとともに、かつての大阪万博では太陽の塔の中に原生動物から人間までどう進化するかっていう「生命の樹」が入ってたんだけど、我々はその先をやりたい。人間がさらに1000年、1万年、10万年たったときに、どんな姿形になるのかを作りたいと思って。

 アーティストと一緒のコラボなので、何が出てくるか分かんないんだけど。もろロボットのデザインで、ちょっとメンバーは言えないんですけど、結構面白いメンバーが集まってきたかなと。

医療の未来は人体デザイン

石黒 じゃあ50年たったら何が起こるのか。まず、どこにでも出てくるロボットとかAIの技術ね。もちろんロボットとかAIってもっと人間に近づいて人間を超えるだろうし、自律運転の自動車なんて当たり前になるだろうし、アバターも当然当たり前になってくるかなとか。

石黒 医療では、エピゲノムの研究がもっと進むと、老化って随分と抑えられるようになって、150歳ぐらい普通に生きるようになるかもしれない。お風呂とかトイレとかベッドとか、そういうところに、治療するシステムをちゃんと組み込まないといけない。

 例えば今の薬のシステムってむちゃくちゃなんですよ。例えば、がんがここにできましたって時に、全身に抗がん剤を入れる。そうじゃなくてピンポイントで入れればいいわけで。だから今、薬を死ぬほど無駄に使ってるんです。本当はもう少し頑張れば、薬の量って100分の1ぐらいでいいのかもしれない。

 あとは人間の体に向いた技術ってあるでしょう。ゲノム技術だったり、本当に男女の格差をなくそうと思ったら人工授精とか人工子宮とか。むしろ人間の体の中で育てるよりも、試験管で育てたほうがいいかもしれない。技術が進めばそうなる可能性ってあるかもなと。

 稲見 どうしても医療ってマイナスをゼロにする話が多いですが、これってもっとアグレッシブにデザインすると。

石黒 デザインはもちろん出てくる。だって、我々は未来の人間をデザインする責任があるんです。放っておいたら何か出るってことは、もうあり得ないんです。だって、遺伝子編集の技術持っちゃってるわけですから。 

稲見 設計医療とかそういう感じなんですね。今までのお医者さんからは出てこない話ですね、きっと。ある意味、徹底的にエンジニアとしての視点ですよね。

石黒 でも僕は、未来をつくるのは人間の責任で、誰かがやるわけですから、「する」「しない」も含めて人間がちゃんと決めないといけないと思うんですね。

生活環境は自然に回帰

石黒 もう1個、環境も大事な話で。

 例えば我々の計測技術って、環境を分子レベルで計測できるので、下手な生物よりはるかに性能高いんですよ。分子レベルで、何がどこにあるってピンポイントで全部調べられる生物なんていないけど、もうそういう技術を人間は持ってるわけですね。

 それから量子コンピュータがちゃんと出てくると、例えば光合成とか、生物の世界で今まで分からなかったことがかなり解明されたり、再現されたりするだろうなと。僕らはやっぱりどっかで自然と調和したいから。

 生身の体は、そんな簡単に自然とは切り離せないけれども、人間って自然を克服する長い歴史の中にいて。例えば家って、厳しい自然の中でもちゃんと身を守れるものだったんだけど、その家がもっともっと変わっていくはずだと思う。

 僕は、江戸時代ぐらいまでさかのぼるんじゃないかなって思って。コンクリートで固めたみたいなマンションに住んで、何が気持ちいいんだって思うんですね。たまに田舎で昔ながらの旅館に泊まったりすると、すごいいいって思うじゃないですか。だったらそっち側に住めばいいじゃない。

 要するに、大量生産時代とか経済を発展させるために、我々は文化だとか住み方とか、そういうのを全て犠牲にして、最も単純で一見、効率がいいって思える家の造り方、環境のつくり方をしてきたんですね。

 これからは人口も減るし、たくさんの家が必要じゃなくなってくる。その中で、もう1回ちゃんと環境と調和した、自然と調和した暮らしに戻りたいって思うはずだと思って。

稲見 先端研の同僚、小泉悠先生が松戸出身らしいんですけれども、松戸のマンションを見たロシアの方とかが、「すごいソ連ぽい」という言い方をされたみたいで。

 ソ連ぽいで思い出すのが、70年の万博のときに確かソ連館がすごい人気で格好良かったって、話としては聞くんです。当時の考えで、効率的な環境は、きっとそういうものだったんでしょう。今はもう変わったってことですか。

石黒 いや、もう全然変わってるじゃないですか。日本の良さ、和の良さが見直されたりして。緑植えるところは植えるし、どんどんと過去に戻ってるんですよね。

 ただし中身はもちろんテクノロジーで支えられてるので、空調とかはすごく良くなってるし、断熱材もすごく効率がいいけど、環境的には昔に戻ろうとしてる。無理やりな大量生産時代を乗り越えて、その前の、もうちょっと自然と調和してた頃に戻ろうとしてるのね。

  万博の中でも、結局は未来において文化が色濃くなると(言いたい)。そこがすごく重要で、文化って何なのかを考え直さないといけない。サイエンスで説明できないことってまだまだ山盛りあって、一方で文化として、いろんなものは残ってるわけですね。世の中から文化を全て消し去ったときに、僕らはちゃんと心穏やかに生きられるのか。

 サイエンスでは説明できないけど、説明できないまま、僕らは自分たちが気持ちのいいものの作り方が分かってる。「この木のテーブルの、このデザインがいいんだ」とか。答えは分かってて、それを積み上げてきてるのが文化なの。人間の心理とかをちゃんと勉強していくと、そのうち説明できるかもしれないけど。 

稲見 文化も人にとって環境の一つですよね。個人が生まれる前からあって、例えば母語とかそういう形として取り入れていって、それがまた外側に戻っていく。 

石黒 もちろん、そういうことなんです。 

環境と身体をデザインする

石黒  里山みたいなイメージなんだけど、人間が自然を相手にできるだけうまく制御して、でも自然の柔軟性は残しつつっていう。それが、テクノロジーが入ってくると、もっともっと進む。

 (高度成長期には)途中で面倒くさくなっちゃったんですよ。人がいっぱい出てきたから、「もう里山なんて面倒くさいことはやめて、コンクリートでガチガチに固めてしまえ」と。「取りあえずエアコンさえ入ったらみんな死なないから」みたいな。それが元に戻ろうとしてると思う。いろんな材料が出てきたりして。

 自然って人間にとってどういう意味があるのか。進化するときにはバラエティとかダイバーシティが必要なんで、自然の持ってる一つの大きな意味はそこにあるのかな。でも、その自然も僕らはつくらないといけない。 

稲見 明治神宮って、100年計画で整備したって話あるじゃないですか。実は最近、副都知事がブログに書いてましたけれども、東京の水源も実はそういう考え方で、どうやら周りの山林から買い占めて植樹をするところから始めて、やはり100年後ぐらいに極相に達するような形で設計した。

 それってものすごい環境の再現ですよ。それを今のテクノロジーで、もう1回やるのかもしれない。

石黒 そうですね。僕らもそんな感じで自然をうまく克服して取り入れて、その間に文化を醸成して、サイエンスはもちろん使う。そういうことをずっとやってる気がするんですよね。

稲見 そこで気になるのが、環境と身体、もしくは自分の身体も環境と考えるならば、その間のインタラクション部分もすごい大切な気がして。

石黒 そうそうそう。ここはめちゃめちゃ重要で、人間と人間とか、人間と環境がどういうふうに調和するのかとか、そこの研究が全然足りてない。先ほどのジェスチャーの話とか視線の話とかって、一つのコミュニケーションだし、環境との調和だし。

 そこら辺が恐ろしくできてない気がするんです。体全体が表現手段で、(人と)つながる手段だったら、もっと体全体と自然を調和させる方法とか考えられるはずなのね。 

稲見 超人スポーツをやってて面白いのが、トレーニングとか教育も実はテクノロジーなんじゃないかという気もしていて。なぜかというと、陸上とかの記録って、我々のDNAは全然変わってないのに、どんどん上がってますよね。人間のDNAは変わってないのに、なぜここまで記録が更新されるかというと、スポーツ用具だけではなくて、トレーニング手法もきっと発達してるわけですよ。 

石黒 スポーツ科学とかで、人間の仕組みって随分わかってきてて。まさにテクノロジーに基づいて人間を効率良く教えることを、やってきた成果だと思うんですよね。

稲見 文化が環境にあるならば、文化と自分を何らかの形で同期させる行為、シンクロナイゼーションがあって、逆に自分が貢献する場合は、何かこうしようと思ったテクニックを環境側に戻してあげる。

 結局はこの相互作用が、実は教育とかトレーニングとか、もしくは自己実現といわれてるものの気がします。表現とかもそうです。

 だから、文化の方が実は本体かもしれない。(リチャード)ドーキンスミーム的なことよりも、こっち側の方が実体かもしれないって考え方もある。

石黒 多くの場合はそうなのかもしれない。特に日本のような社会って、社会をみんなでつくり上げることの方が重要なのかなっていう気はします。

 でも僕は、それが日本だけじゃなくて、世界が日本になると思ってるんですよね。

 僕は、最も文化が豊かな国って日本だと思ってる。一つの天皇、ロイヤルファミリーの下に2000年の歴史を持ってる国って日本しかない。日本にも、いろんな民族が入ってるんだけれども、他の国に比べると圧倒的に数が少ない。その中で、コミュニケーションのやり方が、ものすごく進化してきてるわけですね。

稲見 ハイコンテクストですね。

石黒 めっちゃハイコンテクストなんです。主語がなくても、ちゃんと話ができる言語は他にないかもしれないですよね。ここまで豊かな文化とかコミュニケーションの方法が生まれてるのは、日本だからだと思うんです。

 でも、地球だって宇宙の果ての島国なんで、戦争なんかやめて、日本的に深いコミュニケーションが取れるような社会になっていくはず。時間の問題だと私は思ってます。インターネットができて世界とつながって、今ちょっと戦争してますけど、その先にはだんだんと日本化するのが世界のこれからの流れかなと。

コンピュテーショナルな互恵関係

稲見 逆に、もっと分かれちゃうんじゃないかというのが私の最近の思いで。

石黒 もちろんさっき(進化の話で)言ったように、全員が同じ方向には行かないんだけど。そこは価値観が違うので、ケンカしないんですよ。

 稲見 「メタバース」「メタユニバース」じゃなくて「メタマルチバース」だって言い方をしてるんですけれども、価値観が違う人たちの互恵関係をコンピュテーショナルにつくれないかって今、妄想してるところです。

 それがあれば、本当にサステイナブルなデベロップメントになるんじゃないかって。その関係を、今までは貿易という形で人が一生懸命見つけてきたものが、そこまでコンピュテーショナルにできるならば。 

石黒 それはすごく大事ですよね。価値観が違ってくる中で、どう互いに支え合うかって、できたら素晴らしい。

稲見 昔はそれがエネルギーに変換されて、つながってたところがあるかもしれませんけど、今は情報的価値に変換されて、結果的に互恵関係があるという。価値観が全然違う中で勝手にやってると、それこそコンピュテーショナルな「神の見えざる手」によって調和がなされるのが、今様な人類の調和かなと。

石黒 そうなってるケースって結構多いんじゃないかなと思うんですよ、細かく見るとね。どっかでそういう安定点がないと、世の中おかしくなっちゃうんですよね。

 中国とかを見ててもやっぱりすごく豊かな人と、そうじゃない人の生活、全然違うわけじゃないですか。あの社会、何で安定してるのか全然分かんなかったんだけど、それぞれ違う価値観でちゃんと生きていけてるわけですよね。その仕組みってどうなってるのか、もっと見たい。

  日本は、それが一番やりにくい国なんですよ。割とみんな似たようなレベルにいるんで。

 でも中国もインドも、ものすごい生活レベルの差の中で社会が安定してる。これからは日本もそうならざるを得ないのかもしれない。貧富の差っていうより価値観が違うってことは、日本でもいっぱい起こりそうなんで。

稲見 ただ一方で、安定がリスクの場合もありますよ。つまり、動物も止まってる状態が安定ではなくて、ある程度動く余地があった方が動的な安定性を持ちやすい。それが、外乱があったときのロボットにもつながると思うんですけど。

石黒 だから、これから未来社会で起こりそうなのは、グループごと、コミュニティごとにちょっとずつ違う多様な価値観があって、それが動的につながってる、そういう社会が安定なんだろうと。

 一つの法律とかルールで全員を縛るのはもう古い。こんなに豊かな情報化技術があるのに、今さらそんな単純な統制の方法で人間を縛るってあり得ない。

 でも、まだ自由主義って言いながらも、小さいコミュニティの主権を上手に認めながら、本当に自由にいろんな価値観を許容するってところまで社会の仕組みができてない。この先、本当の自由主義にならないといけないのかなって気はしますね。

 稲見 よく最近、多様性とかダイバーシティとかスローガンは多いんですけど、多様を多様のまま担保するって、実はものすごい社会的コストが高い話なんです。でも、そのコストを、どうみんなで合意を取って払っていくかって、まだあんまり議論してない。

 石黒 いやいや、僕はそれは心配してないんですよ。多様性のコストを払わないと、人間が生きる意味がなくなってしまうと思ってるんです。

 人間って何のために生きてるのか。お金稼ぐためではない。お金って手段じゃないですか。じゃあご飯を食べるためかっていうと、それもそうじゃなくなってくるでしょう。もっと効率良く体を維持できる仕組みなんて、いくらでもできるわけで。

 人間は自らを進化させるために、多様なコミュニティを維持しながら、いろんな視点で人間を理解していかないと、やっぱり滅びちゃうと思ってる。人間を滅ぼさないための仕組みなので、コストはいくらでも払っていいんじゃないかなと。それが目的になると思うんですね。万博でそれを伝えたいんですよ。

稲見 なるほど。

石黒 だから、(パビリオンで展示する)七つのシーンは、全部がきれいにデザインされた七つじゃなくて、違う価値観で結構ばらばらな未来をそのまま出す。コミュニティが違えば、ここまで考え方も違うんだってぐらいのものを出したい。

 石黒 七つって、スポンサーが7社だからってことなんですけどね。もう一つは、(パビリオンが)そんなに広くないんで、七つ以上詰め込めないっていうのもある。

制約からの解放の先に

次に石黒教授は、50年後の未来を展望する上で基本となる考え方を「今日の本題」として切り出します。一言で表せば「あらゆる制約からの解放」です。さらにその先には、必要に応じて制約を制御できる、自在化の概念が浮かび上がります。

 

石黒 で、今日の本題に。50年先を考えるには、社会規範がどう変わっていくのかを考えないといけない。それを単純に言うと、今の生命観からの脱却や、今の国という仕組みからの脱却。いろんな制約からの解放って言っているんだけど。

 例えば集団があるじゃないですか。例えば学校って集団でしょう。もう集団なんか要らないですよね。

 アバターが進んだり、情報が進んだりしたら、学校で集団で授業を受けるなんて絶対におかしいんですよ。30人の人間を1人の先生が同期して教えるなんて。だって、30人それぞれ個性も大事、能力も違うっていってるのに、同じことを同じように教えてどうするんだと。 

稲見 しかも、たまたま同じ地域にいるだけです。

石黒 そうそう。あと仕事とか、病院とかもそうですよね。テーラーメード医療が進むとか、家庭のトイレに検査デバイスが当たり前のように付くようになったら、いちいち病院に閉じ込められることもなくるかもしれない。

 仕事と遊びは、どこが違うのか。僕、ここが一番重要だと思うんだけど、仕事と遊びと勉強、全部一緒じゃないかと思うわけ。最近の労働環境でいいなと思うのは、会社に入ってもすぐに勉強しないといけないじゃない。それで、何かアイデア出せって言われたら、遊びが重要じゃないですか。

 ここの境界がなくなるっていうのが、僕は進歩だと思ってて。つまんない仕事は全部ロボットとかAIにやらせて、もう仕事も遊びも勉強も分からないところ、境界のないところで人間は活動するべきなんじゃないかなとか思ってる。

稲見 ちなみに、楽しいとか生きがいを感じるとかだと、あえて皆が楽しくなるための制約をつくっておくのも必要だったりすることがあって。

 よく例に出すのが、人間って霊長類の中でも投てき能力が一番高いとされてる動物ですけど、あえて投てき能力を封じて、足だけ使ってボールを蹴るようにしたのがサッカーで、ハンドボールより遥かに世界に広まった。

 適切に制約を付けるから面白くなったり、より生きがいを感じたりする側面もあると思いますね。たぶん「解放」って、エアコンを作って初めて制御になるのに、暖房の話しかないようなもので。(暖房と冷房の)両方ができるから制御になるっていう。

石黒 それって自分をうまく制御できてる満足感みたいなものかなって感じがするね。

 制御できることが本当に満足感を最大限引き出すんだったら、例えば遠隔操作で正確に動かせるマニピュレータを作ったときに、最初はわざと失敗させるんです。わざと失敗させて、もう1回やり直すとつかめるってやると、努力感が出るじゃない。

 この努力感が本当は重要なんじゃないかな。ゲームだって簡単なのは駄目で、ちょっと難しいやつがいいわけで。

稲見 適切に努力すると、目に見えて成果として返ってくる辺りが、どうやら我々はうれしい。ちなみにお能も面白くて、70を過ぎても成長してる感じがするって言ってました。だから、あれは人生で一番長く楽しめる身体制御技術なんだと。

未来を語るためのゲーム

二人は、来るべき世界を考えるたたき台として、ゲームに着目して議論を戦わせます。

稲見 また、自由からも解放されたときこそ、想像性が本当に試されるのかもしれない。自在化が究極に実現したとき、つまり誰もが能力を簡単に獲得できるようになったときの社会って何だろうなと。先々それができるようになって、みんな、ある意味ゲームデザイナーになれるというか。 

石黒 ちょっと知りたいのは、ゲームって何だろう。どれほど必要なのかな。

 稲見 ゲームは、恐らく我々が社会的な生物として、あるいは普通の生物として必要とされてきたスキルを、もう1回シミュレーションできる環境なのかと。それが私のエンターテインメントの位置付けです。

 石黒 まだ僕はゲームについてあんまり深く考えてなくて。ゲームって、人間にとってどういう価値を持ってるのか。一応、遊ぶってことは大事だと思ってます。

 稲見 (ゲームとは)制約がある中での最適化条件の観察というか、問題解決空間のサイエンスをやってる競技じゃないか。エンジニアリングもそれに近いんですけれどね。

石黒 与えられた制約の中で能力を発揮できるかっていうところに、人間が成長できる可能性もあって、ゲームにもそれが生かされてるんでしょうね。

稲見 はい。例えばVRでも、1989年のジャロン・ラニアーの頃から重力からの解放みたいなことがいわれてきたんですけど、本当に無重力の環境ってよく分からない。結局、我々は重力っていう制約があることによって楽しめてることが実はだいぶあるという。

石黒 ただ、肉体の制約から完全に解放されたとき、人間がもし肉体を自由にどれでも選べるようになったときに、ゲームってやるのかな。

稲見 ゲームの中でキャラを選ぶように、肉体を選ぶんでしょう。あえてスーパーヒューマンみたいな超強いキャラじゃなくて。今でもゲームの世界で(プレーヤーごとに)得意な道具や呪文が違ったりとか。

石黒 でも、ゲームを一切やらなくたって困りはしないですよね。

稲見 困りはしないけれども、動物とかも遊びの中で狩りを覚えたりってあるじゃないですか。

 石黒 例えばトレーニングだとしても、ゲームってアディクティブじゃないですか。そこがいいのかってことなんですね。

 稲見 本能は、常にアディクティブな要素を持っていて、そこの中でサイドエフェクトを減らしていくのが、社会的に一般化されるときに大切なんじゃないですか。

 格闘技も、産業革命のときに今まで工場で働いてた人が、肉体労働が減ったので週末に遊びで格闘とか始めて、月曜になるとみんな怪我して帰ってくるので、怪我しない程度に雇用者が防具とかルールを整備したという話もあって。

 石黒 でも、例えばパチンコだってゲームなんですか。依存性高いでしょう。あれ、みんな大好きじゃないですか。

 稲見 大好きですね。あれはだいぶ依存性が高いゲームですね。ガチャも、みんな大好きです。

 石黒 あれは、人間にとっていいのか悪いのかって。そこで僕は二極化があるような気がするんですね。

 サッカーも同じなんですけど、ゲームにどっぷりはまる人たちと、どっかで覚めた目線を持てる人たちは、ちょっと価値観が違う気がするんですよね。どっぷりはまってる人たちって「ゲームが面白けりゃいいじゃん」って話になっちゃってて、そうじゃない人間は、もうちょっとメタレベルで見てる気がしてしょうがない。そこが抑制できるかできないかの差がある。

 稲見 (どっぷりはまるという点では)野村さんと話したときに、「練習のやりすぎ問題」ってあって。本当はもっと効率のいい練習があるはずなのに、それが分からないので、取りあえず時間をかける方にいって故障の原因になってしまう。野村さんは練習時間が短い分、濃かったとおっしゃるんですけれども。

 でも逆にそれ(練習のやり過ぎ)はゲーム空間の過学習だな。それは、もしかすると受験でも言えるかもしれませんし、競技プログラミングとかでもあるかもしれません。

石黒 ゲームの目的って何なんだろう。僕もゲームはそれなりにやったんだけど、本気ではまったのは『SimCity』だけなんですよ。『SimCity』は、中毒になるぐらいやっちゃうんですね。『SimCity』とか『A-Train』は大好きなんだけど、他のやつはね……。

 街の設計とかに興味があるっていうのと、人がいろんな活動をする裏にどんなアルゴリズムが走ってるのかを考えるのが楽しくて。でも、ある程度やると原理が分かっちゃうので、妙な街を作りだすんですね。そうすると、面白くなくなっちゃう。

 稲見 それが、先ほどのオーバーフィッティング(過学習)みたいな感覚なんです。他に適用できなくなる感じ。

石黒 元々ゲームは、戦う本能を抑制するためとかですよね。オリンピックだってそうですよね。ギリシャのときに、闘争本能を紛らわすために。

 稲見 たぶん本能という自然を、どう環境によって、もしくは社会によって担保していくかという取り組みの一つなんじゃないかと。

 先生、今日でなくていいんですけど、今度2050年のゲーム、もしくは2050年のエンターテインメントはどうなってるか、もしくは2050年のスポーツってどうなるんだって話を。

石黒 2050年のゲーム、それは面白い。それが(50年後の未来のリストから)抜けてるんですよ。2050年のエンタメとかゲーム。

脳が直結した社会

石黒 僕は、BMI(Brain Machine Interface)が出てきたら絶対面白いと思ってて。例えばBMIとBMIをつないで、相手とこれだけのことを意思疎通できた、とか。これ絶対ゲームにすると思うんです。お互いどこまで感覚共有できるかとか、思念を共有できるかって、ものすごくはまりそう。

 相手の頭の中を直接のぞけるって、ものすごい快感じゃないかな。今までそれをやるために一生懸命コミュニケーションしてたのに、直にのぞけるし、直に何かを感じられるんですよ。

 ある意味、性行為を超えるような気がしてしょうがない。BMIで両方つなぐって、ちょっとえげつない、体の制約超えて最もアディクティブで、でも一方で人間が本当にやりたかったゴールに近い。

 50年後にBMIがもうちょっとポピュラーになったら、BMIの世界に閉じこもって出てこない人間がごまんと出る気がする。だって、そこに人間の幸せ全てがある可能があるんです。

稲見 現象的に少し近い例としては、脳の一部を共有している双生児の例でそういう調査があるみたいです。やっぱり相手が何やろうとしてるか分かるところもあったりとか。

石黒 ずっとつながりっぱなしだと嫌かもしれないですね。

 稲見 そうなったときに初めて、今まで(脳内で)シミュレータとして走らせていた「自分の中の相手」と「相手の中の自分」が、きちんと物理的につながるんでしょう。

 石黒 僕がBMIの話にときめくのは、それが人間の生きるゴールに近そうだからです。「人のことを知りたい」とか。

 稲見 全部つながったときには(スタートレックに登場する)ボーグ帝国みたいな、統合自然体みたいな形になるんですかね。

石黒 僕はあのボーグの描き方は想像力足りないなと思うんです。まだディープ・スペース・ナインに出てくる、流動体生命の方が幸せな感じがして、ボーグの世界も本当はあっちじゃないのかなと考えてた。

稲見 いや、それは、『エヴァンゲリオン』的な人類補完計画の世界ですよ。

 一方で我々には抑制系が入ってるので、コミュニケーションでも適切な距離を保って、結果的に何とか調和を保ってるところがあるかもしれない。だから、考えがつながるようになった後に、抑制系の話も入ってくるのかなとも思うんです。

 つまり自在化された時点で、つながるのも遮断するのも自由自在になる。要は、だだ漏れにはしない。その漏れ方もうまく制御できたときに、本当の意味で心の使い方も自分のデザイン範囲になるのかも。

石黒 あえて伝えないようにして、伝わった感をつくろうとするわけね。つながったときの差分で伝わった感を見せてやると、みんな満足するようになる。本当に情報がどんどん伝わると、どんどん「その先に、先に」になっていくので。

稲見 そこは達成感もなければ、新しい普通になっちゃうだけで。

 精神の危険領域も自在に

石黒 でも、そこにそういうコントロールを入れちゃうと、進化が止まる気がしてしょうがないですね。

稲見 そうですね。結局、昔と変わらない感じになっちゃうかもしれません。

 でも、人によって違いますけれども、なぜ人類がアルコールという何の栄養にもならない情報的物質を取るかというと、それはコミュニケーションの抑制を外すためですよね。つまりあれは、抑制系をまひさせて、より情動的な共感を得るためのドラッグという。神様とつながるためも含めて、人類は昔からそういったものと共存してきてた。

石黒 アルコールがなかったら、人間ってこんなに進化しなかったんだろうか。

稲見 それはイスラムが実験してるわけですよ。その代わり結局、水たばことか別のコミュニケーション手段がある。

石黒 そうそう。めちゃめちゃニコチン摂取してるので。

稲見 向精神薬的なものって宗教と一緒だったときもありますよ。禅と一緒にカフェイン(お茶)が伝わったって話もあって。

 石黒 ちょっと気になるのは、BMIの世界とか、僕らが生身の体から解放されたときの、アルコールに相当するものって何なんだろうなと。例えばビデオが出てきたときは、ビデオドラッグとか言ってたんだけど。体に影響を与えずに、精神だけにうまく影響があるような。

稲見 ティモシー・リアリーはVRにそれを期待したらしいんですけどね。

 京都大学の神谷(之康)先生がおっしゃってるニューロバースとかも、それに近いかもしれなくて。ブレイン・マシン・インタフェースというと、大抵みんなアバターとか動かしたがるんですけど、神谷先生が面白いのは、むしろそのイメージで世界をつくっちゃう。思っただけで世界がばーんとできちゃったりとか、何か感情が変わって世界がばかんと変わったりする。

石黒 それ、ちょっとヤバイこと言ってる。妄想がばんばん見えちゃうわけですよ。妄想と興奮の状態だけがセットになって出てくるんで、訳分かんないけど、素晴らしいって思っちゃうわけで。麻薬ですよね。

 稲見 坐禅組んでるときの魔境に入っちゃう可能性が高いですね。

石黒 そうそう。落ち着ける方じゃなくて興奮する側に入っちゃったら。まさに麻薬と一緒。

稲見 でもそれは設定側で設定できるんですよね。発散系でいくのか、抑制系でいくのかはプログラムでコントロール。

 石黒 脳のどこを刺激するかで全部できると思います。でもそれ、やっていいかどうかですね。

 稲見 そういうことです。

 石黒 でも、そうなるんでしょうね。BMIってやっぱり究極のドラッグになる可能性はやっぱり強いな。

人間から迫るか環境から迫るか

脳の暗部に踏み込んだ二人の議論は、最終的な興味が一致することを確認して収束します。

稲見 BMIとまで言わなくても、今ある生理的情報で環境を介したフィードバックも、すごい強力だなと。

 我々の簡単な取り組みで、ディープドリームっていう、世界を悪夢っぽく転換してしまうフィルタを、例えばこの部屋の映像にリアルタイムでかけて、HMDで見せるわけです。しかもそれを自分の内的状態、要は発汗とかに合わせて変えていくと、(現実に)帰ってこれない感じがします。

 悪夢みたいなのが出てきて、それでドキドキすると、より悪夢が増えていく。そういう発散系でフィードバックかけると怖いです。

石黒 一発でうつ病になりそうですね。

 稲見 うつというより、統合失調症に近い状態になるかもしれません。

 石黒 僕らがやってるニューロフィードバックも、すごく脳に影響を与えるんですね。アンドロイドの遠隔操作で使うと、BMIでアンドロイドを動かしてたのに、先にアンドロイドを動かすと、それに合うように脳の状態が変わっちゃうんです。もうめっちゃ顕著に出てくるので。

 稲見 面白いですね。お互い違う立場のようなのに、ここでいろいろとお話ししても、同じようなことを議論してるのが。

 石黒 問題設定は似てるんですよ。僕は身体をコミュニケーション(の媒体)にしてるんですけど、身体を拡張するって意味では(稲見教授の研究と)同じですよね。

 稲見 はい。(石黒教授の)人を再構成する側のアプローチと、私はVRで環境を再構成する側のアプローチで、でも興味があるのは実は人間というところが共通点という気がします。

自在化身体セミナー スピーカー情報

ゲスト:石黒浩|《いしぐろひろし》
大阪大学大学院 基礎工学研究科 システム創成専攻 名誉教授

ロボット工学者。大阪大学基礎工学研究科博士課程修了。工学博士。京都大学情報学研究科助教授、大阪大学工学研究科教授を経て、2009年より大阪大学基礎工学研究科教授(栄誉教授)。ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)。遠隔操作ロボットや知能ロボットの研究開発に従事。人間酷似型ロボット(アンドロイド)研究の第一人者。2011年大阪文化賞受賞。2015年文部科学大臣表彰受賞およびシェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム知識賞受賞。2020年立石賞受賞。2021年オーフス大学名誉博士。著書には、『ロボットとは何か──人の心を映す鏡』(講談社現代新書)、『どうすれば「人」を創れるか──アンドロイドになった私』(新潮文庫)、『僕がロボットをつくる理由──未来の生き方を日常からデザインする』(世界思想社)ほかがある。

ホスト: 稲見 昌彦|《いなみまさひこ》
東京大学先端科学技術研究センター
身体情報学分野 教授

(Photo: Daisuke Uriu)

東京大学先端科学技術研究センター 身体情報学分野教授。博士(工学)。JST ERATO稲見自在化身体プロジェクト 研究総括。自在化技術、人間拡張工学、エンタテインメント工学に興味を持つ。米TIME誌Coolest Invention of the Year、文部科学大臣表彰若手科学者賞などを受賞。超人スポーツ協会代表理事、日本バーチャルリアリティ学会理事、日本学術会議連携会員等を兼務。著書に『スーパーヒューマン誕生!人間はSFを超える』(NHK出版新書)、『自在化身体論』(NTS出版)他。

「自在化身体セミナー」は、2021年2月に刊行された『自在化身体論』のコンセプトやビジョンに基づき、さらに社会的・学際的な議論を重ねることを目的に開催しています。
『自在化身体論~超感覚・超身体・変身・分身・合体が織りなす人類の未来~』 2021年2月19日発刊/(株)エヌ・ティー・エス/256頁

【概要】

人機一体/自在化身体が造る人類の未来!
ロボットのコンセプト、スペイン風邪終息から100年
…コロナ禍の出口にヒトはテクノロジーと融合してさらなる進化を果たす!!

【目次】

第1章 変身・分身・合体まで
    自在化身体が作る人類の未来 《稲見昌彦》
第2章 身体の束縛から人を開放したい
    コミュニケーションの変革も 《北崎充晃》
第3章 拡張身体の内部表現を通して脳に潜む謎を暴きたい 《宮脇陽一》
第4章 自在化身体は第4世代ロボット 
    神経科学で境界を超える 《ゴウリシャンカー・ガネッシュ》
第5章 今役立つロボットで自在化を促す
    飛び込んでみないと自分はわからない 《岩田浩康》
第6章 バーチャル環境を活用した身体自在化とその限界を探る        《杉本麻樹》
第7章 柔軟な人間と機械との融合 《笠原俊一》
第8章 情報的身体変工としての自在化技術
    美的価値と社会的倫理観の醸成に向けて 《瓜生大輔》