原点に帰って社会を再構築|稲見昌彦×北原茂実対談シリーズ 第3話
医療の前に社会
北原 私自身は医療をやってるんですけど、医療者の多くは医療が全てみたいな顔をしてるんです。例えば経済学者が、経済学が世の中の全てと思っているようなもので。
ただし冷静に考えてみると、社会を支えてるのはあくまでも農林水産業なんですよ。1次産業ですね。安全な衣食住がないときに、医療なんか存在するはずがないんです。
その次に必要になるのは、やっぱり教育ですよね。その次に必要なのは、実は司法。世の中にとって、自分たちにとって何が正しいかを判断するメカニズムですね。この3本がなかったら社会が成り立たない。「そうはいっても相互扶助が必要だ」となって、初めて医療が出てくるんだと。
北原 じゃあ医療の果たすべき役割って何かと考えたときに、障害がどうのこうのとか、リハビリテーション、手術などいろんなことがありますけど、それって非常に小さな話で、本当にやらなきゃいけないのは医療が存続できる場をつくることだと思うんです。だからこの3本の柱。農林水産業、教育、司法をどうしなきゃいけないのかを、まず考えなきゃいけないんだろうと感じてます。
これが前にもお話しした、社会の健全化ということですね。スライドには「目指すべきこと:医療ルネサンス」とありますけど、そういう観点から今の医療をもう1回全部つくり直してみたいって思ってます。
その下に、問題を解く鍵として「ONE HEALTHと原点回帰」って書いたんですけど、これは私が今一番感じてることなんです。ONE HEALTHとは、全ての生きとし生けるものは全部つながってるって考え方です。そういうことを考えていると、自分のやりたいことをするために、何をしなきゃいけないかが見えてくると思うんです。
世界が期待する日本に
北原 もう一つ、原点回帰って書いたのは、海外を回ってて私が非常に感じるのは、世界が日本に対して何を期待してるかってことなんです。例えばヨーロッパに行くと、「ITは中国だよね」「日本って昔ITもやってたよね」みたいな話になる。東南アジアでさえ「ITは中国でしょう」って話の後に、日本の「に」の字も出てこないんですよ。
だけど、例えばフランスにせよどこにせよ、いまだに日本に対するあこがれみたいなものがある。日本って特殊な国って感じがあるんですね。
そのときに出てくるのはアートの世界とか、伝統工芸みたいなものなわけです。漆塗りがどうのこうの、蒔絵がどうのこうの、日本刀がどうのこうのとか。これらがいつできたかっていうと江戸時代なんですね。
江戸時代って、いい面も悪い面も多々ありました。ただし一つ言えることは、鎖国してましたから、基本的に貿易をしない状態で日本で独自の文化が花開き、日本の中でみんなが自給自足の生活してたんです。その中で、どうやって自分たちの生活を豊かにするかを真剣に考えた時代だと思うんです。
だから、例えば食器にせよ何にせよ、見かけが良くないから漆を塗ってみたり、蒔絵にしたり、いろんなことが起こってくる。陶芸にしてもそうだと思います。それが明治維新になる前、江戸の末期になって海外に出されるようになって世界が驚いたっていう。その印象があまりにも強烈だったために、いまだに日本はそういう国だって思われてるんですね。
これって非常に重要で、今でも本当にいい家具、飛騨高山の民芸家具だとか、非常にいい陶器、食器とかを見ると、私もそうですけど、何とも言えない豊かさを感じるわけです。そういうことを考えた上で、じゃあ果たして我々はどこに行くべきなのかって、冷静に考えなきゃいけないって思います。
稲見 自在化身体プロジェクトも実は今年度が最終年度でして、その意味では、まさに原点回帰も考えないといけない。それこそコロナの影響で色々と困ることもあったんですけれども、今まで研究を進めていろんな成果が出てきた中で、何のためにこのプロジェクトをやったのかを改めて考え直さないといけないかなと、先生のお話を伺いながら思いました。やはり我々の根っこにも文化があるし、最終的にそこへどう貢献すべきかを考える上でも、背中を押していただけた気がします。
私も海外に行くと、コンピュータとかITの話はあんまりなかったとしても、伝統文化に敬意を払ってくださる方がたくさんいますし、ポップカルチャーも含めて日本の文化的な側面は若者にも非常に影響を与えてますよね。そういう日本文化に根差した研究者として、ちゃんと世界に通じるように発信するにはどうすればよいのかも考えなくてはいけないと思いました。
新型コロナのパンデミックは広げたくないのに広がりましたけれども、文化でも、ある意味、同じような現象があると思うんですね。相手が影響を受けたりとか、広めたくなくても結果的に広まったりする場合もあるかもしれない。
例えば鎖国が鎖国のまま終わってしまったらば、ジャポニスムはそこまで広まってなかったと思うんですよ。きっとそれを紹介してくれる人がいて、ファンができて、その流れがフランスの画家とかにも広まったから、原点は日本だってみんなが認識してくれた。同じように、我々の研究も世界に広げていけたらと思っています。
ITは農業や漁業へ
北原 私なんかもそうですけど、コロナ禍の最中に何が欲しかったかっていうと、やっぱり自然との関係ですね。自然の中に回帰したいとか、あとは本当に自分と親しい人と一緒に何かをしたいとか、そういうことってものすごく大きかった。それがないと、人間ってやっぱり生きていけないところがあると思います。
ところが私、今IT企業でメンタルヘルスのケアをやってるんですけど、(従業員の)半分近くがうつ病なんですよ。それをどうやって介助するのかって話になってて、(その手段の一つとして)農業をやったりとか。今度は漁業もやるんです。練り物工場まで造って、沿岸漁業で何かしようと思ってるんですね。
北原 そのときに面白いのは、沿岸漁業って今まであまり真面目に考えられていないんですけど、OSINTってあるじゃないですか。Open Source Intelligence。例えば軍事なんかに使われてますけど、私は沿岸漁業とかに使うべきだと思うんですね。はっと気が付いてみたら、世界の中で漁獲量が大きく落ちてるのは日本くらいなんですよ。
じゃあ日本で何が起こってるのか。システムエンジニアを入れて、何が起こってるかを追究してみると、結構面白いと思うんですよね。ここに人を投入して、みんなで朝4時に起きて定置網をやって、捕ってきた魚で刺し身を作って酒を飲みながらってOSINT考えるっていう。それを11月ぐらいからやろうと思ってます。
今、NECや住友林業と組んで、林業と漁業の関係とかを、全部一度データを集約してみようと思ってるんです。誰もそういう考え方をしてこなかったんで。特に漁業に関しては、新しい知見が出てくるんじゃないかと思うんですよね。
本当に人間にとって必要なのは、自然の中で動物として生きていくって感覚がないといけないんじゃないかって思って、ちょっと実験的にやってみようと。先生の研究室も一緒に漁業やりましょう。
稲見 やりましょう。かまぼこ作りましょう(笑)。
以前、研究室の合宿で先生の病院を利用させていただいて、非常にいい経験をさせていただいたんですけど、次は合宿で漁業をやってもいいかもしれません。しかも捕ったものをいただく過程も、ある意味、動物としての基本なので、前の話に戻ると、それがきっとリアリティにもつながるのかなと。
北原 全てがそこにかかってくる。食糧の問題とか地域の再生の問題とか、さっき言ったITエンジニアのうつ病とか。いろんなものが実は関係してくると思っていて、一度やってみたら面白いと思うんですね。
稲見 私も最初は自在化に「身体」って付けて、もちろん今でも身体は大切なんですけど、やっぱり自由自在に感じられるとか、生きがいを感じられるのは、環境側の要因も非常に大きいと思うようになりました。
一方で、身体が変わると心にもだいぶ影響があるらしい、それによってモチベーションも上がることもあるらしいと考えると、今後は身体と環境の両方から、心とか生きがいの部分にアプローチしていくべきなんだろうなと。プロジェクト開始から6年目たって、私自身ようやく分かってきたところです。
北原先生は病院をつくるだけじゃなくて、医療を取り巻く環境からつくってらっしゃることに感銘を受けました。今度は漁業も始めたっていうのは驚きましたけれども、だいぶコロナも落ち着いてきましたので、そういうアクティビティもご一緒できればと思います。
北原 三重なんですけど、企業さんとツアーを組むので、ぜひ先生のところからも参加していただけたら面白いかなと。
命の自在化はあり得るか
瓜生 最後に、少し重たい質問をさせてください。
私の研究って弔いで、つまり死者を思い出すだけじゃなく、供養するとか大切に思うことなんです。稲見先生と関わって自在化研究に取り込まれたので、せっかくだから自分の興味のあることやろうと思って、ちょっと考えたのが「命の自在化」っていうテーマです。今、挫折してるんですけど。
挫折してる理由として、ご存じのとおり安楽死は日本では違法で、事実上の延命治療の中止でさえ医師が疑われる状況にある。ただ、世界での動向は国内でも報じられていて、日本でもスイスに飛ぼうと考える人が出てきた状況があったりします。ヨーロッパは国家的に法制度整える流れが強まっていて、北米でもカナダがありますし、アメリカでも州によってはと。
私は宗教が絡む研究をしてるんですけど、自分自身は宗教そのものには中立で、好きでも嫌いでもない。好きな人のことも理解したいし、宗教嫌いな人、あるいは科学しか信じないって人の気持ちも分かる。欧米諸国では安楽死が合法化する地域が出てきている一方で、日本人、あるいは東アジアの人たちは、「命は自分だけのものではない、家族のものでもあるし、友達のものでもあるし、そもそも個々の生命は世界とつながっているから自分自身で制御してはいけない」って思ってるから、法律もなかなか変わらないのかな、とも思うのです。
このあたりについて、お考えあればお聞きしたいなと思ったんです。
北原 私は、日本の安楽死についての議論の裏には、法的な問題があると思うんです。日本ですごくおかしいのは、例えば医者は刑事的に訴えられるんですよ。人工呼吸器を一度付けた人から外したら、殺人罪になる。
でも、そもそも病院は人工呼吸器を設置する義務はないんです。だから元々この人は、人工呼吸器がない病院だったら死んでたはずなんです。人工呼吸器を付けたから生きてたのに、外して元の状態に戻したら何で刑事告訴になるのって話なんですよ。
私は、日本の社会って全てにおいて責任逃れだと思ってるんです。責任逃れの意識が強いために、生命って何なのかとか、人の権利って何なのかを真剣に議論するまでもなく、これが犯罪につながったらいけないから駄目だよ、みたいになっている。
私自身はどう思ってるかというと、自分が本当に死んだときにあの世があるかないかって知らないですよ。だけど、少なくとも自分が楽しいというか、幸せになるなら、どっちかっていったら信じてた方がいいじゃないですか。「自分が先に死んだらね」って自分の女房に言って、「おまえ、待ってるから早くおいで」みたいな、そういう世界の方が夢があっていいじゃないですか。
これで答えになるか分からないですけど、日本人の場合、何で議論にならないかっていうと、宗教観じゃなくて責任逃れが一番の問題だと思います。
行動に責任を持つ
瓜生 責任の所在を、なるべくなら明示したくないんですよね。日本人って、きっと。
北原 そうです。それで何かあれば、すぐ後ろ指差すみたいなところがあるわけですよ。
だから、いろんなことに関して、検証して効果を問うっていう発想じゃないんですね。例えば経済的な問題でも、きちんとしたデータを出してこないでしょう。でも、現場にいる我々は肌で感じるわけですよ。
八王子に今、子ども食堂が20箇所くらいあって、全部が100人ぐらいの子どもを抱えてるんです。てことは、2000人の子どもが、ちゃんと食べられていないわけです。
今、60歳を迎える人で貯金がいくらかって聞いたら、25%の人が100万円以下、40%の人が500万円以下なんですよ。でもね、老後資金いくら必要かっていったら、政府自らが2000万必要だっていってる。
その一方で、1億以上の貯金を持ってる人が9%いる。完全に二極化が起こって、中間層がいなくなったってことですよね。でも、政府はきちんとした対策を取っていないし、ばらまきでごまかしてる。結局、政治家にとっては、選挙で当選できるかどうかだけが問題なわけです。
だから、(責任逃れをしているままでは)本当の意味での民主主義だとか、本当の意味での情報化社会だとかが、この国において実現しないんだと思います。
瓜生 なるほど。ありがとうございます。
稲見 北原先生とお話ししていつも思うのが、未来に対して前向きになれる力をいただける気がするんですよね。しかも、まだまだやることがたくさんあるので、今ここで立ち止まっていてもいけないと。
今回も、自分も研究で世の中を変えるために、動物的にもっとがつがつとやっていかなくちゃいけないって思いが一つ。もう一つが、こちらが良かれと思ってやってることにも、思いもしない副作用がたくさんあるかもしれなくて、きちんとサイエンスをベースにして、エビデンス・ベースで進めていくべきというところ。その二つの大切なお言葉をいただいたと思います。
北原 話をしたらやる気になったって、最高の褒め言葉ですね。周りの人が元気になってくれるのは、私にとって一番うれしいことなので、今日お話ができてとても良かったです。
稲見 はい。すごい元気付けられました。本日はありがとうございました。
自在化身体セミナー スピーカー情報
ゲスト:北原茂実|《きたはらしげみ》
脳外科医、医療法人社団KNI 理事長
ホスト: 稲見 昌彦|《いなみまさひこ》
東京大学先端科学技術研究センター
身体情報学分野 教授