激闘!中東の歴史まるわかり!(古代〜中世編)

今回の動画では5つの国、都市、人物に焦点を当てて構成されていました。

《国》トルコ、イラク、エジプト、イラン、サウジアラビア
《都市 : 人物》
①メッカ : ムハンマド(最後の預言者)
②エルサレム : ドゥグリルベク(鷹の君主)
③バグダード : サラディン(英雄)
④カイロ : ティムール(鬼武者)
⑤イスタンブール : メフメト2世(征服の父)

【各場面の視聴目安時間】
※番号は上記、都市:人物とリンク
○全動画時間→19分31秒
○概要→2分20秒から
①→5分40秒から
②→10分25秒から 
③→13分30秒から
④→14分55秒から
⑤→16分20秒から

《中東概要》
①世界四大文明のうち二つの文明を持っている
・エジプト文明→ピラミッド(巨大建造物)
・メソポタミア文明→楔形文字、ハンムラビ法典
②シリア、パレスチナでは既に鉄を作っていた
③アルファベットの語源である、アルファとベータをギリシャに輸出

先進的な地域であった。

○ヨーロッパの最大のライバルは中東。この頃、ローマVSパルティアとビザンツVSササン朝とで争っていたが、アッシリア・アケメネス朝に武力統一される(←これがオリエント統一)
そこにアレクサンドロスが攻め混んで来るも、アレクサンドロスは病死してしまう。アレクサンドロス亡き後、イラン人国家として国をまとめるが大きい国をまとめるのは大変であり、そこから、またいくつもの争いが起こっていく。

《ムハンマドの物語》
アレクサンドロスとの争いにより、通商ルートを変えなくてはならなくなった事で新たな通商ルートが栄え、貧富の差が大きくなっていきました。その頃、突如としてムハンマドに神からのお告げが降りてきます。一つの神の前で祈れば皆平等であると布教したことが始まりで、イスラム教が生まれます。武力で人を束ねる時代から宗教で人を束ねる時代の始まりです。そんなムハンマドも後継者選びに苦難し、後継者を選べぬまま、ムハンマドは亡くなり後継者争いに発展していくのでした。

※ ユダヤ教(モーセ)→キリスト教(キリスト)→イスラム教(ムハンマド)という流れの為、ムハンマドは最後の預言者と言われている

※ 後継者争いは、ムハンマドの子孫であるシーア派VSスンニ派(実力者)の争いに発展
↓覚え方
子孫にしいな→シーア派
子孫にすんな→スンニ派

《ドゥグリルベクの物語》
ムハンマドの後継者争いは、スンニ派が勝ちウマイヤ朝が誕生。しかし、税金徴収に失敗し(アラブ人を優遇し過ぎる)アルバース朝が誕生します。そのアルバース朝にエジプト側からフローティマ朝(シーア派)、イラン側からブワイフ朝(シーア派)が両側から攻めてきます。そこにトルコが乱入してきて、ブワイフ朝を潰しバグダードを奪い返します。そこに現れるのがドゥグリルベクです。スンニ派を応援すると入ってきてセルジューク朝をまとめ、エルサレムを占拠してしまいます。

《サラディンの物語》
エルサレムを占拠した事で十字軍が攻め込んできます。それを守ったのが英雄サラディンです。

《ティムールの物語》
ティムールは若くして、腕にも足にも怪我を負い傷だらけの体にも関わらず無敗、最強のケンカ番長。オスマン帝国に攻められても追い返すほどの力を持っていました。そして、中国を獲るぞー‼︎と明に攻め込もうと出陣しますが明に行く直前で病死してしまいます。

《メフメト2世の物語》
オスマン帝国を率いて、ビザンツ帝国と争います。メフメト2世はビザンツの都市コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を陥落させる為、出陣しますが入江が鎖で塞がれてしまい船で通ることが出来ませんでした。そこで山の上に木の板を敷き詰め、油を塗りその上を船を押して山を越え入江に突入するというとんでもない作戦を敢行し、ビザンツ帝国を滅ぼしてしまいました。

《まとめ》
古代〜中世の中東では、常にヨーロッパと戦いながら中東の覇権を握るのは誰か?という争い
が続いていきました。
その中で
①思想的なリーダーとしてムハンマドが全てを変え
②トゥグリルベクが十字軍との争いのきっかけを作り
③サラディンが十字軍から守り
④ティムールが中国を攻め
⑤メフメト2世がコンスタティノプールを滅ぼしヨーロッパの起点(イスタンブール)になりました

【中田敦彦のYouTube大学】さあ今こそ中東の歴史を知ろう!ヨーロッパ最大のライバルのアラビアンナイト!

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