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極悪女王

今更ながら、Netflix(ネットフリックス)で見た。

公式ページには、こう書いてある。

心優しき一人の少女がルール無用の極悪プロレスラーになっていく姿を描く。全国民の敵と呼ばれた最恐ヒールの知られざる物語。

公式サイトより

確かに、事実ベースでわかりやすく本作を表現するならばそうなるだろう。
とても的確な文章だ。

しかし、このドラマの本質は、もっともっと深くにある。
『本当の ”強さ” とは何か?』
これを問うものだと私は感じた。

本当の強さとは、
・プロレスで強くなることか?
・だとすれば技か、力か?
・はたまた、武器を使うことか?

そしてまた、
・自分は強いのか?
・他人が強いのか?

プロレスという題材を通じて、物理的には強いキャラクターたちが垣間見せるたくさんの弱さ。
・プロレスとは何なのか?
・何のためにやっているのか?
・どうなったら勝ちなのか?

こうしたことを通じて、
・ただプロレスという枠組みの中で、強くなることが本当の強さなのか?
・負けるという中にも、強さがあるのではないか?
・そもそも、プロレスの外にも強さがあるのではないか?

登場人物はみな、これらと戦っていたように思う。


私の現段階での「強さとは?」の結論は、
『認めること』
だと感じた。

「私は強いのに、なんで注目を浴びないんだ」
「実力で勝負したいのに、なぜアイツは反則ばかりするのか」
「プロレス界は私が引っ張っているのに、なぜそれがわからないのか」
直接出てくるではセリフはないが、こうした描写が随所にある。

・自分の弱さを認める。
・自分の強さを認める。
・これらを通じて、他者を認める。

認めることで、初めて許すことができる。
許す心ができた時、人は強くなり、再び手を取り合うことができるのだろう。
言い換えれば、認めることで初めて自分は一人でないという実感を得ることができるのかもしれない。

こうしたことを、この作品が教えてくれた。

私は、まだまだ弱い。
しかし、私は弱いことを本作から改めて知らされ、それを認めた。
もしかしたら、これから強くなれるのかもしれない。


今日のヘッダーは、Quoraの使い方研究🐷エイプリル・フリーメイソンさんの作品を使わせていただきました!

本日もご覧いただき、ありがとうございました!


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