【イナカの家と住人のこと(2024)】30・実相や意思の疎通の大切さ
わが家に戻ってきた父は、
ステントの影響もあり、食も細く…
幸いにも苦痛を感じることはなかったようですが、様態は予想以上に早い変化で、
その時の父への対応に慣れてきたかと思うと次に進んでしまい、初めての事ばかりでついていくのに必死。
はじめこそ気づきませんでしたが、
私が慣れると父に変化が起きる!?
その変化は見事に私の動きに連動しておりました。
ふと、それなら私がなかなか出来なければ進みも遅くなってくれるのか?なんて思ったことも…
予想以上の早い変化は、一緒にすごせる期間が短くなることでもありました。
ですので何を置いても父のことを最優先に、長さではなく内容の充実度で!と意識転換をしその後を過ごすことにしたのをはっきり覚えています。
そのような記憶でしたので、
父への対応にほぼ意識が向いていたかと思いきや…
当時のメモを見返してみましたら、
父との動向を発端に、私自身のコトタマ的内容の気づき作業にもことのほか取り組んでいてびっくり!?
現状の私のペースからすると、別人です… (汗)
もちろん父自身は無自覚でしたが、
学ばせてもらっていたんですよね…
自宅に戻った当初こそ座っていることが多かった父ですが、
徐々に横になることが増えていき、
医療知識のないわが家のメンバーにとっては先の対応に不安が…
ちょうどその時期に知りたいことがあり、
まず市の福祉課にたずねたところ、地域包括センターを紹介してくださり、そちらを訪ねるとケアマネージャーさんをつけてくださり、病気を発見してくださった掛かり付けの主治医が訪問診療をされていたのでお願いをすることもでき、訪問看護師さんも決まり、
思いがけず在宅看護の態勢が整いました。
何かあれば連絡をとることができる安心感をえることができ、不安が軽減するのはありがたかったですね。
その生活面とは別に、
私にはずっと引っかかっていることがありました。
それは、
父が発病をしてからの実状をどのように認識しているかや思いの部分のことでした。
そのことに関しては父が自宅での生活に慣れてからにと触れていなかったのですが、一緒に生活をしていてあれ?と思うことも見受けられ、何よりも父の変化が早く先延ばしにできないことも感じたので、
手遅れになる前にと、
2人の時間ができた時に話してみました。
父が不調を感じ主治医に診てもらった事のはじまりから、患部の状態、入院の経緯と面会規制の件(ビデオ利用)、検査に難航し何度も行うことになりそのため処置まで時を要したこと、バルーンではだめでステントが入り食に規制が出てしまったこと、そして少しでもはやく自宅生活に戻して欲しいとお願いし今に至ると…
父はいつもと同じで、口を挟むことなくその話を静かに最後まできいていました。
その姿は身体の不調や高齢者の気配は少しもなく、穏やかでいて芯のある私の知る本来の父でした。
そして「そういうことだったのか…」と口を開いた一言には、自分の身に起きた事の詳細をはじめて掴むことができ、やっと全容が理解できモヤが晴れたその気持ちが凝縮されていました。
そうした父を目の当たりにし手遅れにならずに伝えられたことに安堵しましまが、
同時に病の身という現象にとらわれていたこと、
何よりも、
昨今の知らずに高齢の父という色眼鏡をかけてしまい、本来の父をみることができていなかったことに気づかせてもらいました。
その後の会話では、
「痛い検査ばかりで何も教えてくれなかった…(身体の状態)」「何も分からなかったけど状況を受け入れるしかなかった…(入院中)」「心配はかけられないから…(ビデオ撮影)」など本音を話してくれ、
コミュニケーションが取れなかった間の思いを知ることができ、また父らしさにも触れることができました。
ここがターニングポイント。
そこを機にとどこおりがなくなり、一段と意思の疎通がはかれるようになり、父の気持ちに沿うように過ごしていきました。
退院時は分からない不安から病院に経過観察をお願いしていましたが、父の負担の方が大きくなり本人の希望もあったのでお世話になることを終わりにし、自宅のみに移行しました。
病院で処置をしていただいたことで自宅に戻ることができ感謝の念に堪えませんが、
不自由な時期の入院となり面会謝絶で受付対応のみのコミュニケーション不足の状況は、
各自が実相から離れてしまい、
三者(病院スタッフ、父、家族)がばらばらになってしまいますね…
身を持って体験させていただきました。
では、またね。
*[画像]
わが家のあじさい