【イナカの家と住人のこと(2024)】⑧和裁士の道やいかに・・・
高校生活最後の日…
3年1組・出席番号1番、
この立場になると付いてきてしまうものがあります。
それは卒業式でいただく卒業証書授与時のご挨拶。
卒業式といえばのお決まりのあの場面、
どなたも浮かんでくるのではないでしょうか。
以下同文ではなく直接証書の文章を読んでいただけますが、その前にあっちとそっちと校長先生にご挨拶をしなければならないんですよね。(笑)
その任を無事こなし同級生との別れを惜しみつつ、
最後のスクールバスに乗り学校を後にしました。
これで1日2回海を眺める通学路ともお別れです。
春が感じられる4月になり、
いよいよ和裁士を目指し平日親元を離れた集団生活のスタート。
ですが学校場所は市内ですし、一学年10人にも満たない生徒数、仲良しさんと一緒でしたので、私もですが両親もそんなに心配はしていないようでした。
その生活は…
学校といっても専修学校ですので家族経営で自宅兼の建物。
寮はその学校から数分のところにある一軒家で、各部屋に数人同居の名ばかりの寮。通学は軽い散歩気分。
食事や掃除は各学年が混ざり(グループ)当番制。
授業は着物一着を分業制で仕立てるやりながら学ぶ作業のスタイルで、先生交え全員が畳敷きの大広間での作業。
はじめはとても簡単で部分的な箇所を任されるだけですが、黙々と1日中縫っています。(笑)
そんな毎日同じで代わり映えしない作業も、手を使って作ることが好きでしたので苦ではなく集中できていました。
寮生活もみんなでわいわい問題なく過ごせていました。
そうした日々を送っていたある時、花嫁さんが着る白無垢制作(そうある事ではないのですが)の最終調整で衣桁(いこう)に真っ白な着物が掛けられました。
それを目にした瞬間に「しあわせのお手伝い」と内に言葉が。
その時も掘り下げることなく、お決まりの『私の感覚経験箱』に入りました。(笑)
1年半くらいたった頃だったでしょうか…心が内に籠もる感覚に気づいてきました。
徐々に気持ちが重くなっていき、あわせていつも人がいる状態が苦痛になってしまいました。
そこでいつもの状況把握作業開始!
はじめは単純にひとりでいられる時間空間がないことがストレスとなったのかと思ったのですが、そうではなく予想外のことがでてきました。
最初にお話しましたように家族経営の学校ですので、先生もスタッフの方もメインは身内同士で気兼ねがない。
日中過ごす作業場は、その方々の大きな声での会話がBGM。明るく楽しい話ならまだいいのですがなにせ身内同士、内容はお構いなくけんけんごうごう。
そこに耐えられなくなっていたのでした。(汗)
作業自体は問題がなかったので自分の心持ちでどうにかならないかと熟考しましたが、どうやら内容ではなく新たな環境に進むことが促されていることに気づいたので、残念さはありましたがそこを去ることを決めました。
そういえば・・・
きっかけが高校の部活を辞める理由と内容は同種!?
ひとりの時間がないと苦しくなることも、寮生活を経験して分かりました。
心が決まったとなれば、両親に伝えなければなりません。平日は寮ですが週末はわが家に戻ります。
ですからそのことは両親に口頭で言えは済むのですが、正確に伝えたい思いがあったからかその時は手紙にして伝えてましたね。(笑)
両親も手紙にしてまでの真剣さを分かってくれたのか、何も言わずにすんなり受けいれてくれました。
ありがたいですね。
ただこの頃になると、
私が「あっ!」と言うたびに、一瞬母がドキッとするのを感じていたました。
取り留めてはいませんでしたが、私がまた何を言いだすか気が気ではなかったのですね。
当時は自分に一生懸命で出てきた思いをそのまま伝えていて、両親はその都度受け止めてくれていたので両親の気持ちを思う余裕はありませんでした…
そのことに気づいた時には本当に申し訳ない思いをさせてしまったなと思いましたが、それは大分年月が経過してから。(汗)
そして母からも、後に昔話(笑い話)として告げられました。(笑)
この先も、
まだまだ両親に甘えた親不孝生活のお話は続いてしまいます。(笑)
つづく…
では、またね。
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