2020/03/22「偶像崇拝禁止令」
思っていたよりも長い時間を過ごしてきたらしい。
インターネット上の繋がりなんて目に見えないものに価値はないとずっと思っていた。一時の淋しさを紛らわせるような関係を簡単に構築して、簡単に壊してしまえる都合のいい道具だと思っていた、2年前までは。今ではもう、始まりを思い出せない。何を求めていたんだろう。承認欲求か?自己満足か?どれも当てはまるようで核心をついていない。
どうやって出会ったのか、もう思い出せない。
それほどに月日を重ねてきたということなのか、忘れたかったのだろうか。自分の声を認めてくれる人がいて、でも反対にそれを認められない自分がいた。言葉を紡ぐことはここでは簡単にできてしまう。過去の自分がそうしてきたように、薄い称賛と好意的な言葉はいくらでも紡ぐことができる。「はじめまして、これからどうぞよろしくね」そんな挨拶でいきなり親しくなった気にもなれば、その一言以降何も話さないこともある。「君の歌、素敵ですね」なんて言葉、簡単に言えてしまう。他者の称賛に自分の価値を求めても意味はないと感じていた。
冷めきった自分の思考を「醜いな」と思うけれど、今でもその変わらない思考は存在していて、向けられた好意を否定することで存在証明をしようとする自分がいる。向けられる優しい甘さが不快で、そう感じてしまう自分自身も嫌いだった。
…今更だけど、かなり性格悪いな私。
2年も続けていれば、それなりの繋がりが生まれ、広がった。
それと同時に、自分の名前と肩書が先行するようになった。「弾き語る若い女性」として自分がカテゴライズされ、消費される対象として見られる経験が増えた。私を一人の人間として理解してくれる大切な人がいる一方で、私を通り過ぎる視線と言葉を投げてくる人とも遭遇するようになった。
「私、あなたのために歌っているわけじゃない」ってはっきり言えたらよかったのかな。
大きな別れを決断した。
半年前から、ぼんやりと考えていたことだった。あっさり言葉を綴れてしまう不思議な自分がいたけれど、後悔はしていない。いずれ別れが来ることを何度も想像していたから。私から終わりを告げることは、逃げなのかもしれないし、一歩踏み出したのかもしれない。
報われない感情を抱え続けることも、見えないふりをすることも、もうおしまい。生きている私の身体と、そこに繋がる思考のためだけに、これからは歌うんだ。
もう偶像崇拝禁止だぞ。
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