2020/08/13「私のことは私が決める」
就職活動もひと段落ついた今日この頃。
志望度合いの高かった応募先から合格通知をもらえたことで、昨年からずっと張りつめていた自分の気持ちが、ぷつんと切れてしまった。大学で親しくしている友人に、話の流れで結果を伝えると、一緒に喜んでくれた。家族もまた、喜んでくれた。
ただ、時々言われる「その志望先でいいの?」という軽い言葉が胸を掠っていくのが、もやもやとして少し分からなくなってしまう。
正直、もうこれ以上頑張りたくない。この1年間、志望先のために毎日勉強して、休日、クリスマス、年末年始も、自宅や近くのカフェ、ファミレスで一人勉強をしていた。その積み重ねた時間から解放されたい気持ちが強すぎて、正直逃げてしまっているのかもしれない。でも、その就職先で正解かどうかなんて、結果次第なわけで、自分にも他人にもわからないんだよな。
分かりもしない「もしも」にこわくなるのは辞めたい。
外から降り注がれる言葉を飲んで、飲んで、飲んで、飲みすぎているような気がする。
SNSを見るのは楽しい。現実に関わりのある人だけに限らず、いろんな人のエピソードを読んでくすっと笑えるのは楽しい。
でも、他人の言葉を頭からかぶるように浴びる時、同時に疲弊してしまう自分もいる。友人の呟く内容になぜか自分もつき動かされて、流れてくる知り合いの私生活に、なぜかひどく気持ち悪くなってしまう。
情報に溢れる世界に生きるからこそ、自分が何を得て、何を捨てるのかを自分でコントロールする必要があるのだと自覚し、アカウントをそっとログアウトした。
限りある繋がりの中で、私の欲しいものは私が決めなくちゃ。誰かの言う、「あれのほうがいいんじゃない?」「いや、これもあるのに。」なんて言葉もたまにはいいけれど、結局何が欲しいのかは私にしかわからないし、決められない。
一人分の人生に責任を持って、自分で決めさせてもらおう、と自分を整理する一日。
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