戦わない生き方 仕事編①
実は 公務員になる前は
エステティシャンでした
女性が綺麗になりたいと頑張る姿に感動し
私もそれを応援したい!と大学4年生の秋に応募
内定をいただきました
岩手県内に新店舗ができるとの情報もあり
勤務地は県内を希望しました
これこそ私の天職だ
当時はそう思っていました
就職活動は その一社しか経験がありません
なので 本当の競争社会を目の当たりにしたのは
就職してからでした
職場は 店長もスタッフも もちろんみんな女性でした
同時期に入社するスタッフと同じ宿舎に寝泊まりしながら
下北沢の店舗で2週間の研修を行いました
そこで最初のつまずきを体験しました
理論は完璧に覚えることができたのですが
実技が全くうまくいかないのです
変なところに力が入って
思うように身体が動かない
運動神経の鈍さがこんな形で出てくるとは思ってもいませんでした
その後 大宮店に配属になりました
そこでも 施術の手際が悪く 時間をオーバーしてしまい
私より年下の店長に何度もフォローしてもらいます
接客も 施術に集中しすぎて会話ができず
売り上げはいつも最下位
年齢はある程度いっているのに
みんなに助けてもらってばかりでした
会社は 全店舗のスタッフを集めて
売り上げ上位の店舗やスタッフを華やかに表彰し
賞金や海外旅行をプレゼントして
士気を高めようとしていました
当時のエステ業界は バブルの名残がまだまだ色濃く残っていました
そんな中 私はといえば
お客様を綺麗にすること=商品を売ること=ノルマ達成=報酬・表彰
という煽られ方がどうしても納得できず
どんどんやる気をなくしていきました
そして最悪なことに
深夜0時の終電に飛び乗って帰る生活と
ピザとミスドとコンビニスイーツで激太りし
Lサイズのユニフォームがパッツンパッツンになって
説得力のない「エステティシャン」
になっていました
控え室に入ると店のスタッフからは
小デブ川(おでぶがわ)と呼ばれるようになりました
そんな自分自身に
だんだんみじめな気持ちを感じるようになっていきました
学生時代まではなんとかなってきた
「戦わない生き方」は
実力主義の社会では全く通用しないということを
肌身を持って感じたのでした
そして
このまま頑張って 地元の岩手で勤務できたとしても
自分が納得する働き方がこの業界ではできないと思った私は
退職することを決意しました
入社してから4ヶ月目のことでした
思い起こしてみれば
私の社会人経験は 挫折から始まったような気がします
当時の競争社会は
戦わない生き方は許されない風潮がありました
負け組や負け犬という言葉がいろいろなところで言われていました
今は 働く人の生活や幸せを考えた
会社運営をしている企業もたくさん増え
働きやすさは改善されてきたように感じています
ですが 資本主義であるかぎり
生産性の向上が追求されることは避けられず
まだまだ競争は必然の社会だと思っています
このような経験が
私が公務員になろうと思った理由につながっていきます
「どうして公務員になろうと思ったのですか」
そう面接で聞かれた時に
私は理由を3つ答えました
・昼の仕事で人間らしく朝起きて夜に寝る生活ができると思ったこと
・ノルマや評価がないこと
・地域の住民のための仕事にやりがいを感じること
次回は 公務員の「戦い要素」について
書いてみたいと思います
私の挫折体験は 当時は確かに辛かったけど
今思うと
あの経験があったからこそ
今の自分につながってきたのだと思っています
#プランドハプンスタンス理論 ですね
職業理解の参考にしていただけると嬉しいです
お読みいただきありがとうございました
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