大人になれば 24『大きな地震・ねこ先生・一夢庵風流記』
初冬です。
秋刀魚を食べたから冬認定です。
ようこそ冬。
あまり寒くしないでね。
大きな地震がありました。
その後の友人とのメールで、地震の揺れの中で「もう終わりかもしれない」とある意味終わりを受け入れたようなことを思ったという一文があって。ちょっと意識の足を止めました。
ぼくはそんな風に考えなかったけれど、そう思ったことは理解できるし、そう思った人はほかにもいると思う。もっと他のことを考えた人だっているのだろう。
じゃあ、ぼくはあのとき何を考えていたんだろう?
容赦なく揺れる地震という暴力。
三階の小さなベランダ。
崩れ落ちそうな古いビル。
倒れ込みそうな棚。
それを支える友人。
ガタガタと家具が立てる音と、ぐわんぐわんとビルが揺れる音。初めて聞く身体の奥に迫る音。
そのときのぼくはただ「身構えて」いたんですね。
次に起きることのために。
そこには「終わり」も「これから」もなくて。
ただ身構えていました。
それは動物的な感覚に近くて。
猫に近づきすぎたときに、彼ら彼女らがシュタッと身構えるあの感じ。ぼくは確かに動物なのでした。
同じ地震でも人によって捉え方がちがうこと。
恐怖の感じ方のちがい。
地震という非日常から日常へ意識を戻すことの難しさ。
日々の暮らしという永続感の幻想性と保証のなさ。
それでも続くぼくたちの暮らし。
当たり前かもしれないけれど、いろいろ考えました。
どうか地震に合われた方々の日常がいち早く戻りますように。
ぼく あ、ねこ先生。
ねこ にゃんだ。
ぼく 素通りはないでしょう。ちょっとお喋りしましょうよ。
ねこ こたつに入れてくれるか。
ぼく もちろん。
ねこ 温度は弱だぞ。
ぼく 最弱で。煮干しもつけますよ。
ねこ わかってるじゃないか。(顔を洗う)
ぼく あ、もぐっちゃったら話せないじゃないですか。
ねこ もぐるのがネコ流だ。
ぼく お喋りしてからにしましょうよ。
ねこ うるさいやつだな。
ぼく 地震怖かったですね。
ねこ そうだな。
ぼく ねこ先生はどうしてたんだですか。
ねこ にゃーっ!と思って、あとは寝たな。
ぼく それだけ?
ねこ それだけだ。
ぼく なんか、もっとこう、ないの。
ねこ ない。
ぼく ふーん。
ねこ もうこたつ入っていいか。
ぼく え、まってよ。ねこ先生って冬はいっつも寝てるけど起きてるときは何を考えてるんですか。
ねこ ぼーっとしてるな。
ぼく いや、それはそうだけど。何か考えたりしないの。
ねこ さむいなーって思ってるな。
ぼく え、ほかには。
ねこ ぼーっとしてるな。
ぼく じゃあ、何も考えてないんじゃん。
ねこ ばか。だからお前は浅いんだ。悟りだぞ。悟り。
ぼく ぜったいうそじゃん。
ねこ 凡人極まりない。
ぼく じゃあ、春は何を考えてるの。
ねこ あたたかいなーって思ってるな。
ぼく ちょう凡人じゃん。
ねこ ばか。浅田浅男だ。浅杉男だ。お前は丸一日あたたかいなーって思って過ごしたことがあるのか。
ぼく え、ないけど。
ねこ どうせ愚にもつかないことを考えてるんだろ。意識がどうだとか、認識がどうたらとか。
ぼく まあ、そうだけど。
ねこ ださいな。
ぼく えー!
ねこ ダサダサだな。
ぼく だって、ぼーっとなんて生きられないよ。
ねこ 詩歌に心なければ月花も苦にならず。寝たき時は昼も寝、起きたき時は夜も起る。九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし。生きるだけ生きたらば、死ぬるでもあらうかとおもふ。
ぼく それ前田慶次じゃん!ジャンプじゃん!
ねこ ばか。隆慶一郎だ。一夢庵風流記。
ぼく いや、好きだけども。
ねこ お前は憧れてるだけで、望んでないだろ。
ぼく ぐ…。
ねこ 好きに生きればいいじゃないか。どうせ人間なんだから。悩んで怯えて迷って考えて試して疑って憤って揺らいで好きになって死んで。
ぼく 生きるだけ生きたらば、死ぬるでもあらうかとおもふ。
ねこ そうそう。(こたつにもぐる)
執筆:2014年11月26日
『大人になれば』について
このコラムは長野市ライブハウス『ネオンホール』のWebサイトで連載された『大人になれば』を再掲載しています。