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大人になれば 32『嫌いなもの・恐怖症・泥の中』
春ですね。
三寒四温も過ぎ去って、毎日だんだんとぽかぽかしてきます。
太陽が近づいている。
靄がかかったように空気がくすんで見えたり、遠くの山までくっきりと見えたり、オイヌノフグリがわーっと咲き出したり。そんな春の始まりを見ていると「美は嫌悪の集合である」という言葉を思い出しました。なぜか。
小さい頃に何かの本で読んで、へえーと思った記憶はあるけれど、いったい誰の言葉だったんだろう。調べても出てこなくて。いかにも伊丹十三あたりが誰かの引用で使いそうなんだけどな。
それでも調べていると誰の言葉かは分からないけれど、「美意識は嫌悪の集合である」というフレーズはちらちらと見つかった。美じゃなくて、美意識か。
「美意識とは嫌悪の集合体であり、嫌いなもの、醜いものを斥ける」と桐島洋子さんが言っているらしい。ふーん。
本当にそうなのかな。
せっかくなので自分の嫌いなものを上げてみる。
・いばる人
・したがう人
・入学式での議員の挨拶
・余白のなさ
・開かない窓
・風船をきゅっきゅっと鳴らす音
・三人以上の飲み会
・粉末だしでつくった味噌汁
・風邪をひいているときに看病されること
改めて書いてみると意外と少なかった。もっといろいろ出るかと思ったのだけど、書いてみるとどれも上記のバリエーションになってしまう。意外だ。
そういえばあまり人に言ったことがないのだけど、恐怖症(フォビア)の話を読んだり聞いたりするのが好きだ。
それはぼくの予想や想像をくるっと乗り越えるほど良くて。
閉所恐怖症、高所恐怖症、先端恐怖症などはまあ分かるとしても、蓮の花などが恐ろしい集合体恐怖症や大きなオブジェや石像が怖い巨像恐怖症などの存在を知ると思わず前に乗り出してしまう。
何で怖いと思うんだろう?
どこを怖いと思うんだろう?
その怖さはどんな怖さなんだろう?
ぼくは思うのだけど、恐怖は夢と似ている。説明しようとすればするほど「そのもの」から遠ざかっていく。生温かい泥に沈んでいくように。
でも、そこには何かがある。
ぼくたち自身も見ることができない何かが。
それは泥沼からほんの少しだけ顔を出す。
狭い部屋やビルの屋上や蓮の花をきっかけにして。
それの正体は分からない。全容も分からない。そもそも、何でそれが泥から浮きあがるのかも分からない。
ぼくたちが得ることができるのは、理由の分からない恐怖に怯えながら「でも、それは確かに自分の中に沈んでいたのだ」という実感だけだ。
蓮の花なんてぜんぜん怖くないよと思う人は(ぼくもそうだ)「蓮コラ」で画像検索してみるときっと驚くと思う。
そこには確かにゾワッとさせるものがある。たぶんほとんどの人が。
蓮の花が怖い人はこの感覚をぼくよりもっと早くからキャッチしているのだろうか。連なるものから感じる恐怖。それはとても本能的なものだ。
「目をそらせ!」という信号。
「次のページをめくれよ」という欲望。
本能的な恐怖特有の相反する二つの力が交差する。
ぼくを守ろうとする恐怖と、甘美で背徳的で黒い渦のような欲望。
もしかしたら、甘美さを知っているからこそぼくたちはそこから走って逃げようとするのかもしれない。甘美さに捕まってしまわないように。
でも、この欲望もまたぼくの内に眠っているのだ。泥の中に。
三月になったばかりの気持ちいい朝に大停電になったあの日。
あの朝はほんとうに別世界のようで。
お湯も出ない家、沈黙した信号、混乱する交差点、暗い箱のようになったコンビニ。何かがぷつりと切れた世界。
ぼくはイベントの撮影があって朝から準備していたのだけど停電を前に手も足も出なくて。イベント担当者やホールの人と何度も何度も連絡しあって、どうにかしようとして。でもどうしようもなくて。
ぼくも、皆も、本当に一生懸命に足掻いていた。それは嘘じゃない。でも、ぼくは覚えている。手も足も出ない状況にどこか甘美さを感じている自分を。
ぼくはぞくぞくしていたのだ。あの大停電の朝に。
どうしようもなさに。大きすぎて抗えないものに。
そしてぼくは思い出していた。その甘美さを。
ああ、ぼくはこれを知っているぞ。これは地震のときのあれに似ているぞって。
ぼくは知っているべきだ。
もしかしたら、今いる世界が破壊される姿に陶酔できる何かをぼくは持っているのかもしれないと。あまり大きな声で言えない何かを。泥の中に。
執筆:2015年3月31日
『大人になれば』について
このコラムは長野市ライブハウス『ネオンホール』のWebサイトで連載された『大人になれば』を再掲載しています。