「何を語るか」ではなく、「どう語るか」の傑作。『ドライブ・マイ・カー』
長野相生座ロキシーで『ドライブ・マイ・カー』を観て数日経つが、日を追う毎に存在感が増してきて言葉にならない。
とても優れた脚本の映画であり、台詞(声)の映画であり、役者(演じること)の映画であり、演劇の映画であり、チューホフの映画であり、村上春樹の映画だと思う。傑作だと思います。
冷静に見ると、映画としてはかなり奇妙でもある。
一人語りが多くて長い。なのに、誰も喋らないシーンもかなり多い。雄弁な沈黙は各所で登場する。全てのシーンもプロットも、とても丁寧作られ、省かれてない。だから3時間もの尺になる。
「普通」の映画と比べたら、バランスがかなり変、ではある。
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でも、「それは全て必要なことなのだ」と作り手たちが信じて作ったであろうことが伝わってくる。
何かを語るために物語を進めるのではなく、ここで起きるであろう何かに注意深く耳を傾け、「言葉にならない何か」をフィルムに残すことを目指している。
「何を語るか」ではなく、「どう語るか」に重きを置いている。それはとても勇気がいることだ。
その勇気は監督だけでは実現しない。脚本、役者、撮影、照明、音楽など各作り手たちが全員で信じ切れないと到達できない。
そして、その「信じる」にはぼくたち観客も含まれている。監督や制作陣がぼくたちオーディエンスのことも信じてくれたからこそ、必要なことを、必要なままに、提出してくれた。
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映画『ドライブ・マイ・カー』パンフレットのインタビューの端々からもそれは感じることができる。
例えば下記のコメントにも通じるものがあると感じている。
また、似たような視点で、濱口竜介監督のこの2つのWeb記事(インタビューと鼎談)での発言も興味深かった。
役者や監督がそれぞれに述べる上記のようなことを、どのシーンからも一貫して感じた。
『ドライブ・マイ・カー』は「信じきった。やりきった。そして、できた」という稀有な映画だと思う。
3時間におよぶスクリーンを観ながら、ぼくはずっとそんなことを考えていた。
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あと、パク・ユリムさんとジン・デヨンさんも素晴らしかったです。夕飯シーンは本当に尊かった…
パク・ユリムさんの手話の演技は本当に胸を打ったし、ジン・デヨンさんの笑顔にも本当に胸を奪われました。彼みたいな男性になりたい。この二人が夫婦だと判明したときは「尊すぎる…」と悶絶しました。
また、照明も本当に素晴らしかったです。各シーンで照明がもたらした力は多々あると思いました。
「何を語るか」ではなく、「どう語るか」
映画『ドライブ・マイ・カー』は「何を語るか」ではなく、「どう語るか」に重きを置いている作品だと思います。
それはとても勇気がいることだし、難しい。そして、それがこの上ない形で到達し、成功している。
日本の映画において、今後のメルクマールになり得る傑作だと思います。未見の方はぜひ。
追記
濱口監督のこちらの発言も興味深かったです。嘘と本当についての質問ですが、「演じる生き物としての人」に繋がる視点だと思います。
濱口監督が語る「演じること」「嘘と本当の境界線がなくなる瞬間」はこの映画にとっても大切なテーマだったと思います。
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