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大人になれば 26『師走・松本大洋と王国・ふりかえる』

十二月二十六日です。
師走です。
地球カレンダーでいうと今日の午後八時十七分頃に巨大隕石が地球に激突して恐竜が絶滅し、ほかの生物も大量絶滅します。ホモ・サピエンスが誕生する大晦日まであと六日。わお。

師走は仕事が終わらない。仕事が終わらないときのチャットは楽しい。
残業仕事の片隅で友人とのチャットのやり取りが始まり、なぜか漫画の一コマを送り合う流れになって、そのうちになぜか松本大洋の一コマしばりになって(そういうことってありますよね)、うーむ次は何を送ろうかと松本大洋の一コマ画像を眺めていると、ふと「どこかで見た感じ」を覚えた。

松本大洋が描く空白、静けさ、静謐な中で動いている時間、感情、止まりながら動いているもの。

これと同じ気分を最近どこかで感じた気がすると思っていたら、写真家・奈良原一高の『王国』だった。

webで紹介されていた写真展『奈良原一高 王国』の記事で始めてその作品を見たのだけど、北海道の修道院と和歌山の女性刑務所という「外部から隔絶された場所」に生きる人々をテーマにした作品群で、そこには不思議な静けさがある。
とても静かなのに、見る者を引き付ける力が強い。
まるで引力を固定化したような。

写真は瞬間を切り取る。だからそこに映っている彼ら/彼女らももちろん止まっている。だけど、彼ら/彼女は止まりながら動いてもいて。静謐な、物音ひとつしない世界のようだけど、耳を澄ませるとそこには通奏低音が鳴り響いている。

ひとつの時間をじっと眺め続けることで、切り取られた瞬間は永遠性を持つのだろうか。それとも、もしかして切り取る/固定するという作業はその中に永遠も内包するということなんだろうか。螺旋はどこまでいっても終わりがないように。

松本大洋の漫画の一コマをじっと眺めていたら、最近みた写真作品へと思いは飛んで、そんなことを思った。

一年最後のブログなので何かスペシャルな感じで振り返ってみようと思ったのですが、やっぱりいつもの感じになりました。あいかわらず日々妄想しています。写真展『奈良原一高 王国』は東京国立近代美術館で開催されているそうなので、足を運んでみたいです。

ふりかえると何でもないようで、何かがいつもある一年でした。ふりかえるということ自体がそういうことなのかもしれません。ぼくたちはきっとスケッチブックに鉛筆を引き続けているんでしょう。たぶん。

相変わらず前に進むのは手探りしたり、耳を澄ませたり、とにかく箱を開けまくったり、記憶を頼りにしたりということの繰り返しだけど。たまには覚悟を決めてパンツを脱いだり。
でも、ぼくはだんだんそういうやり方が気に入ってきました。来年もそんな風に行けたらいいなと思います。

今年もありがとうございました。
皆さん、よい一年を。


執筆:2014年12月26日



『大人になれば』について
このコラムは長野市ライブハウス『ネオンホール』のWebサイトで連載された『大人になれば』を再掲載しています。


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