ネオンホール短編劇場。あるいは「表現して初めて現れる表現」
二十分劇×四組で、相変わらずカオスな二時間でした。
観劇中、まだ見ぬニューヨークの見知らぬ街の見知らぬ人たちのことと、地球の自転と公転のことをずっと考えていたのですが、たぶんこれも演劇の機能なんだと思う。
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ネオンホールから帰り、慌てて夕飯の支度をし、お風呂上がりにナイツ塙宣之『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』を読んでいたら(面白い本です)、この一文が。
「人類が芸術を生み出したのは、言葉で伝えきれない思いを作品で表現しようとしたからです」
素直な一行。
反論もありません。
ただ、今日は久しぶりに演劇を観てきたので頭がふと立ち止まる。
ネオンホールでカオスな演劇群を観ている間、「ふつうに考えたらこれは奇妙なことだよなあ…」とぼくはしみじみ思っていた。
登場する四組。
ひとつは「人にとっての時の流れ」をその場に表出させようと、ユニット三人が何かを紡いでいた。
ひとつは「人と映像と音楽がそれぞれにプレイすること」に取り組んでいた。
ひとつは「好きなことを人前でやりつつ、なおかつ楽しんでもらえるためのパッケージは何か」を楽しんでいた。
ひとつは「古典を使ってあがいたら何か生まれるんじゃないか」にチャレンジしていた。
実にバラバラだ。
ぼくはそのバラバラさに感心しながら、「ふつうに考えたらこれは奇妙なことだよなあ…」としみじみ思っていた。
だって、だれも「それが観たい」とオーダーしたものはひとつもない。
でも、ぼくたちは観る。何でだろう?
ステージに立つ作り手たちも、だれも「本当の完成形」はわかっていない。
でも、彼らは作る。何でだろう?
これは奇妙なことだよなあ…と思いながら、ぼくはまだ見ぬニューヨークの見知らぬ街の見知らぬ人たちのことを思っていた。
きっと、今、このタイミングで同じようなことをしている奴らがいるはずなのだ。ニューヨークの片隅で。
「それが観たい」とオーダーしたものでもなく、
「本当の完成形」がわかったものでもなく。
でも、ぼくたちは観るし、彼らは作る。
何でだろう?
ぼくは小さなステージで繰り広げられる奇妙な営みを観ながら、そんなことをずっとぼんやり考えていた。
* * * * *
ここでやっと先ほどの一文に戻る。
「人類が芸術を生み出したのは、言葉で伝えきれない思いを作品で表現しようとしたからです」
この素直な一文。
異論はない。
でも、ネオンホールでぼんやり考えていたぼくの頭は反応する。
これだけだと足らない。
一行足してみる。
「やってみると、たまに自分が思いもよらないものができたりする。表現して、初めて現れる表現がある」
この一行がセットであったほうがぼくはしっくりくる。
「言葉で伝えきれない思い」だからこそ、やってみないとわからないし、どこまでが完成形なのかなんて到底わからない。
そういえば、哲学者の野矢茂樹さんが『ここにないもの - 新哲学対話』でいいことを書いていた。
「ことばで言い表せないものってのは、ぜったいことばで言い表せないってわけじゃない。ことばがあるからこそ、そのちょっと先に見えてくる」
「追いかけっこだね」
「表現して初めて現れる表現」は追いかけっこなのかもしれない。
表現があるからこそ、そのちょっと先に見えてくる。もの。
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「表現して初めて現れる表現」
100%自分の能力で生み出したものではない。
どちらかといえば「ドアを開けた」に近い。
ドアの向こうにあるもの。
あるかもしれないもの。
それに触れるための必要な切符が表現だったりする。
のではないだろうか、と思う。
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同じことをしても、同じ表現が現れるとは限らない。
(そもそも、「同じこと」なんて存在しない)
ミステリアスだ。
でも、上手くいくと、「表現して初めて現れる表現」のトンネルができたりする。
こともある。
稀に。
『○○行き』のトンネル。
発見できたら、ぼくたちは鮮烈な印象を覚えるだろう。
観る側も、作る側も。
「表現して初めて現れる表現」
観客であるぼくはこれを愛してやまないし、
もしかしたら、演劇に限らず、何かを作り続ける人も。
彼らはその手触りを知っているのだろうか。
生まれる瞬間を覚えているのだろうか。
トンネルが開きそうだった壁の音の響きを覚えている?
もう少しで開きそうだったときのツルハシの感触を?
ひょっとしたらニューヨークの誰かも。
台湾の誰かも。
ケニアの誰かも。
観客も作り手もぼくたちはずっと追い求めているのだろうか。
「表現して初めて現れる表現」を。
もしかしたら、二千年以上も前から。
この奇妙なことを。
根源的な欲求として。
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と、ネオンホール 短編劇場を観た後に、ナイツ塙宣之『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』を読んで思いました。
「人類が芸術を生み出したのは、言葉で伝えきれない思いを作品で表現しようとしたからです」
いつもなら、この素直な一文は素通りする。
でも、今日はふと立ち止まった。
これも演劇の機能なんだろうなと思った夜でした。
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野矢茂樹さん『ここにないもの - 新哲学対話』について書いたブログはこちらをご覧ください。