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大人になれば 29『きさらぎ・あの山の向こう・ライン』

二月です。
如月。きさらぎ。

言葉の響きが好きで、どんな意味があるのだろうと調べてみたら【「如月」は中国での二月の異称をそのまま使ったもので、日本の「きさらぎ」という名称とは関係がない】とあった。
へえ。

でも、日本のきさらぎとは関係がないと言われても「きさらぎ」とは何なのか分からない。
調べると、衣を更に重ね着する「衣更着(きぬさらぎ)」、陽気が発達する季節「気更来(きさらき)」、草木の芽が張り出す月「草木張月(くさきはりづき)」といろいろ出てくる。

でもやっぱりよく分からない。どれが「日本のきさらぎ」なんだろう。正体は謎だ。正体不明の「きさらぎ」。いいな。物語みたい。やっぱり好きだ。

正体不明といえば、ぼくは前から「衝動」というものがよく分からなかった。
何でもいいのだけど、とにかくいてもたってもいられない気持ち。叫びたい気持ち。書かずにいられない気持ち。走らずにはいられない気持ち。内に巣くうマグマみたいな。

そういう気持ちとは無縁だった。

無縁だけれども、世の中にはそういう人が少数でもいるのは分かる。そしてきっとぼくの見たことのない景色を見ているのだろうと夢想していた。それはどんな景色なんだろうと。

という話を残業中にしたのです。仕事の合間のムダ話として。四十代後半の社長と五十代前半の取締役に。
資本主義の拡大性の限界→産業革命→大航海時代と大人トリオのムダ話は続き、そういえばと。

「そういえば一万年も前に人類は粗末なカヌーを漕いで海を渡ったり、アジアからベーリング海峡ルートを歩いてアメリカに入ったりとかしたらしいですよね。ぼくは前から不思議でしょうがなかったですよ。何で渡るんだろうって。まあ、千人とか一万人に一人とかでそういう人がいるんだろうけど」

そしたら、ふだん温厚な二人が「それは違うよ!稲田くん!」と熱い。社長なんて立ち上がった。
「え、え」と戸惑うぼくに「それは人の本能だよ!」と。

ぼく え、ちょっとまって。否定はしてないですよ。でも、本能は言いすぎじゃない。
社長 いや、人は行きたくなるものだよ!
ぼく いや、だからそういう人がいるのは否定しないけど、皆がそうだってのは言い過ぎでしょう。千人に一人とかだったら分かりますよ。
社長 ちがう!皆がもってる本能なんだよ。
取締 だってさー、歴史を見ればわかるじゃん。
ぼく や、わかるけど、それと皆がそうだってのはちがうでしょう。
社長 人は行きたくなるんだよー!
ぼく いやいやまってまって。人生初のジェネレーションギャップを感じてるんだけど。
取締 ジェネレーションギャップじゃないって!
ぼく えー!ここに二十代がいたらおれに賛成しますよ。
社長 ちがう。本能なんだよ。行きたくなるんだって。
取締 「あの山の向こう」だよ。稲田くん。
ぼく いやいや、その言い方はずるい。
社長 だって、学校も東京に行きたくて行ったんだろう?
ぼく いやいや。それと海を渡るのは違いますよ。
取締 だってさ、ずっと同じ村に暮らしていたら「あの山の向こう」を見たくなるだろ。
ぼく いや、そうだけど。ぼくが言ってるのはもっとこう「衝動」みたいなものがあるんじゃないかってことなんですよ。わけもなく行きたくなるような。
社長 だから皆もってるんだよ。衝動だよ。
ぼく えー。ぼく、感じたことないですよ。
取締 ぜったい持ってるって。
ぼく えー。
社長 ぜったい。
ぼく えー。

危うく人生観がひっくり返るところでした。
そうなのか。みんな持ってるのか。ほんとうか。

ぼくは夢想する。
家を出る。道路がある。ふと足元を見ると白いラインが東に延びている。白い、ペンキのようなライン。
ぼくは追うだろう。足元のラインを追って。東へ東へ。誰が引いたんだろう。何のために引いたんだろう。と思いながら。疲れた。足が痛い。もう引き返そうかなと思いながら。
それなら分かる。

分かること/分からないこと。ぼくを形作る境界線。いくつになっても自分のことが分からない。ぼくはそれを好む。もしかしたらそれがぼくのベーリング海峡なのかもしれない。
四十一歳になりました。


執筆:2015年2月13日

『大人になれば』について
このコラムは長野市ライブハウス『ネオンホール』のWebサイトで連載された『大人になれば』を再掲載しています。


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