お金がなくて死ぬほど胃が痛くなった
ある朝、目が覚めた。
そしてお金がないという恐怖が、とつぜん現実として迫ってきた。
今日はそんな話を少し書いてみます。
季節は暑くもなく寒くもない、どちらかといえば気候的には快適な朝だったと思う。
たぶんよく寝たんだろう。目はぱっちりと覚めた。
そのころのぼくは「やりたいことをなんとか仕事にする。妥協しないで自分がしっくりくることにエネルギーをかける」と決めていた。
それ以前にもぼくは、何度か似たようなことを考えてその都度仕事をやめたり商売を変えたりもしてきた。
でも正直なところ納得はしていなかった。自分の中にある期待値に比べれば全然まだまだ。そういう感覚が強かったから。
そんなわけで回を重ねるごとに「今度こそは」という、焦燥感が強まってもいた。
しかしこのころも、信頼できる仲間と始めた「自分のまんなか感のある」仕事は終わりをむかえつつあり、仲間とも違う道をいくことが確定してきた。
(感性やワクワクにしたがって生きればうまくいくって聞いてたんだけど!)
貯金残高はかぎりなくゼロだ。そして入金のアテがないだけでなく、これから先の仕事のメドもなくなるという事実。
目を覚ましたとたん、なぜかそれが急にリアリティとして迫ってきた。
家族を養うということも自分の役割だと(当時はまだ)信じていたぼくはかなりビビった。
いや、実際のところビビったでは全然弱い。「恐怖した」だ。
ほんとうに比喩じゃなく震えた。
そして猛烈に胃が痛くなった。
胃の痛みにはなじみがあるぼくだけど、
このときはそのまま救急車で運ばれたり、もっとヤバいことになるんじゃないかというくらいの激しさだった。
痛みと恐怖を感じながらぼくが覚えているのは、家のふすまだ。
見るというよりただ網膜に映ってた、ふすま。
網膜に映るものをただ受け入れるように、痛みと恐怖にされるがままになっていた。
その時、ふと、
本当にふと、やりたいこととかどうでもいい、仕事を選ばずとにかくお金を稼ごうと心から思った。
そしたらすっと感覚が変わった。
痛みも恐怖もあるけど、かなりマイルドになっていて遠くにあるみたいだった。
このとき自分自身の内側でどんな変化が起きたのかを、いま書くことはきっとできる。でもそれはそこまで大事じゃないかもしれない。
ただ、そういうことが起こった。
それは狙ったり考えたりしてできることではなく、どちらかというと「狙ってやる」の反対側にある、思い通りにならない苦しい体験だった。そして、同時にいろんなものがギュッと濃縮されたエクセレントな体験だと思う。
なんて、今だから言えるんですけどね!(当時はしんどかったな。。。)