水のなかにあること
「水の中にいる人と仕事をしたい」
心からそう思った2日間のお話です。
1,000名以上が受けた講座でもっとも大事にしているところ
先日、海外でのファシリテーター養成講座の開催を終えて帰国しました。
この講座は日本国内を中心に20ヶ国1,100名を超える人たちが参加しているプログラムで、その中に「ファシリテーターとしての在り方」というパートがあります。
そのパートでやっていることを(すこし乱暴だけどおもいきって)説明すると、
・人には信念があってそこから行動や感情があらわれる
・自身の信念や反応が生まれる背景と効能を知る
・その限界とそれを超えた可能性を体験する
という感じになるかと思います。
これはファシリテーターとしてだけでなく、仕事、プライベートな関わりなど多岐にわたって影響があることもあり、講座参加者の中から、ここがもっとも心を惹かれたという声も多いパートです。同時に私たち自身も一番大切にしているところでもあります。
講座を終えたあとに言われた言葉
今回の講座を終えたあとの会話で、とある人から声をかけられました。
「今日の最後にあなたがやったようなパートを、私たちは例えばというA手法やB理論なんかも含めてとても深くやってきている。そしてあなたが何を言わんとしてるかよくわかっている。だから一緒に(こういう)講座や仕事をしませんか?」
要約するとこんな感じだったと思います。
ぼくは返事につまってしまいました。
その人は(少なくとも講座中ぼくから見て)ずーっと自分の知っていることを話していて、結局自分自身にアクセスしない人でした。いまこの瞬間の自分にアクセスすることを拒否し、過去に自分が身につけた知識を話す。なんならその勢いで他の参加者の体験を妨げている場面すらあるように見えていました。
その人は「水の中に入ることをしていない人」でした。
例えば、泳ぎ方はたくさん知っている。クロールのやり方や、平泳ぎの足の効率的な動かし方を勉強している。バタフライで使う筋肉の、鍛え方を知っている。
いろいろ知っている、メソッドを持っている。
けれども結局、自分自身は水に入ることをしない人。
いっぽうで、その同じワークショップの参加者の中には、今まで(そういうことには)まったく触れてこなかった、理論的なことは知らないけれども、水に入る意思がある、水にすでに入っている、水の中で実際にもう動いている、そんな人たちもいました。
例えば今回の参加者や通訳さんなんかも、とてもフレッシュに、生き生きと最後のパートを体験してくださっていたとぼくは思います。
水の中にあること
自分自身が水の中にあること。
水の中にいる人と多くの時間、体験をともにすること。
これはぼくにとって今、なによりも大事なことです。
水の中にいる人たちと一緒にある。
その状態で繰り広げられるいろんなものを楽しんでいる。
そしてその水の中にいるということがまた次の気づきや拡がりを作っていく。
結果的にその水の中で、自分自身が教えるとか伝える役割を担う瞬間もあると思います。
でもそれは流れの中で自然に生まれたものであり、その役割やポジションからの関わりが先にあるわけではない。教えるということが結果的にあったとしても、大事なことは水の中にあるかどうか。
2日間の講座を終えて、今の自分にとって大事なことがより明瞭に感じられます。