共創という言葉ではあらわしきれない共創
すり合わせというと、それぞれの主張を聞きながら、共有できる共通項を見出だすという作業を想像する。
また共創という言葉も、なにかソフトで最後には共有できる、お互いポジティブな感情を持てる何かを生み出すという印象がある。
そんな中、今僕自身が面白いなと思っている共創、すりあわせは上記とは2つの点でおもむきが違う。
ひとつめの違いは、プロセスの力加減と質感だ。共創とかすり合わせという言葉が含むソフトさとは裏腹に、もっともっと力強くてよいのだと思う。
例えば地球上の自然物は調和している。でもひとつひとつの解像度をあげてみてみると、植物にせよ動物にせよ(人間の概念で見るならば)調和というより戦いとかサバイバルといった表現のほうがぴったりくることも多い。
その質感を言葉にするならば、ガチのぶつかり合い、くらいのほうがしっくりくる。
ふたつめの違いは、アウトカム(成果・効果)だ。
何か具体的に共有できるものもアウトカムとなりえると思うのだけど、実はお互いの違いがぶつかり合ったプロセスを通じてそれぞれの確信に至ることや、論理ではつかみきれないなにやら共通の感覚こそが、共創造のアウトカムなのだと思う。
これはつまり共創の概念のアップデートでもある。
こうした共創概念がアップデートされていくときに、自他に対する正直さ、素直さがあればあるほど、共創は加速していく。
そんな体験と関わりに感謝をこめて。ありがとう。