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「熱海の奇跡」を読んで得たヒント:誰の、どんな思いが地域再生のカギになるのか
僕らの地元:泰阜村をブランディングしちゃおう!という一人で勝手に始めたプロジェクトに反応して、何人かの方に応援の声をいただいた。
その中で、人口減の著しい熱海を復活させ、若者や起業家が気になるスポットとして見事復活させたストーリーを記した本「熱海の奇跡」を紹介いただいた。じっくり僕の地域と照らし合わせながら読んでみた。
日本有数の観光地という過去を持つ熱海と、観光とは無縁の泰阜村のこれまでには、なかなか共通点が見出しにくかったものの、日本の各地方が今抱える共通の問題点には、思わず「うんうん、そこが問題なんだよね」と相槌を打ちながら読んだ。
本著で刺さった内容を参照しながらまとめてみたい。
地方創生はそこで生まれた自分たちの手で
街おこしはよく、「よそ者・若者・ばか者」が成功させる、といったようなことを聞く。確かにずっとその地域に住んでいる人には地元の魅力は分かりにくく、課題を感じていてもしがらみを抱えて、「変えよう」というエネルギーも続きにくい。
新しい風を吹かせるのは、「エネルギーがあり、体力もあり、地元を復活・再生させようというパッションがある人」というのは、本著を通して何度も意識させられた。
地元の人たちが熱海を知らない。知っていても、当たり前すぎて価値に気づかない
という一文は、まさにこの泰阜村でも起こっている最たる課題だと感じた。
このような問題意識を持つ人は、泰阜村にも何人もいる(はず)。では実際に何か始めているか?と言われると、少なくとも僕の耳には聞こえてこない。何をやったらいいかわからない、というのもあるし、やっていることが外の人向けの事が多く、村民が興味を持つような施策が少ないと感じる。
個人的な順序としては、やはり「村民の幸せがはじめ」であって、僕らが外に自慢できるくらいの暮らしをして初めて、外の人にアピールできる土台ができるんじゃないかと思ってる。
著の中にも、
街にいる人たちが楽しそうにしている姿こそが街のディスプレイ
というフレーズが出てくる。これこそ、そこに住む人自身と、そしてその街を外から見る人が感じる魅力だと思った。
そしてそれを始めるのは、やはり地元に縁がある者 = 地元出身者や地元民以上にこの地を愛するような熱い人なんだろうと思う。地方創生のストーリーはどんな本を読んでも茨の道だ。地元の為と思って始める事業でもまず初めに地元に叩かれる。それを乗り越える精神力と体力を持ち合わせた個人またはチームのみが、地域の復活を成し遂げられる、ということを痛感させられた。地域(この土地と人)への愛が試されるんだ。
僕の地元愛は足りているだろうか?足りないとしても、これから増えていくだろうか?
補助金に頼らない街づくり
補助金・助成金に関しては賛否両論あり、僕が読んできた本の中では、地方創生に関しては「否」の意見をよく見た。
その理由は「人が育たない」と結論付けているものが多く、本著でも
起業したい人に補助金をつけたり、人件費を出したりという施策が全国各地でありますが、これでは起業家は育ちません。自ら事業をつくりあげる、それを後押しする取り組みこそをしていく必要がある。
と書かれていたことに、納得感と危機感を覚えた。
僕の村に限らず、近隣の地域では補助金をもらうことを前提としたプロジェクトが多く、中には補助金・助成金をいくら引き出すかに注目と注力されてしまうものもあるように思う。
僕自身も、「もらえるものはもらおう」という根性が根付いているせいか、補助金ありきのプロジェクトが頭をよぎる。
しかし、「人が育たない」のは致命的だ。稼ぐこと・考えることを放棄し、「お金が出るからやる、出なければやらない」となってしまう。活動本来の目的が失われると強く感じた。
もちろんお金は大事。そのことは著の中でもこんな言葉で綴られていた。
私が10年前の自分にアドバイスをするとしたら、「もっと稼げることからやれ。でないと続かないよ」と言うでしょう
地方創生は、地元をなんとかしたい!という思いから、活動がボランティアになりがちだと感じていた。「地域の為に」という気持ちはビジネスにしにくいイメージがある。
しかし、補助金をもらってしまえば、官の意向を反映せざるを得なくなり、結果「継続しにくい活動」を生み、やる人のモチベーションも、周りの理解も大きく成長しにくいということなんだと思う。
コミュニティづくりの大切さ
地域の人間関係、そして地方を復活させるチーム、協力者、支援者。コミュニティとは「人のつながり」なんだと学んだ。
同じ場所に居る = チーム・組織ではなく、「つながり」を感じさせるコミュニティが出来てはじめて一体感や使命感が出てくるのかなと。
では、人がつながるための要素はなんだろう?と思った時に、そのひとつはビジョンの共有なんじゃないかと感じた。
「何年後こうなっていたい」というビジョンがチームも地域も同じ方向を向かせ、躓き、ぶつかり合いながらも前に進んでいくエネルギーになる。そんなことを本著から感じ取れた。
本来ビジョンは、地方創生だけでなくあらゆる活動において示されるべきことだと思う。仕事でも生活でも、共有できるものがなくてさまよっている人が多いから。
ビジョンは、企業がよくやっているように”Webサイトに掲載しているだけ”では浸透しない。ブラッシュアップしながら繰り返し繰り返し話して、語って、体現していかなければ共感というレベルに到達しないんだろうと思う。地方創生の仲間づくりの極意なんだろうか。
さいごに
僕は、地方創生を成功させるような人は、”地元を復活させることに運命を感じる”ような選ばれた人だと思ってた。
著者の言葉を借りれば、
私自身には何があっても、どんな困難にぶち当たっても決して熱海のまちづくりをあきらめない確信がありました。どんな困難にぶち当たっても、ただの一度も辞めようと思ったことはありませんでした。
こんな熱いパッションを持った人。
本著には「命懸け」という文脈は一度も出てきていないけど、熱海復活にかける著者の思いやチームの活動を見ていると、人生をかけた・・・命懸けの活動だったんじゃないかと想像する。ビビリの僕に、果たして地元の未来に自分の人生をかけられるかどうか。本当に地元を愛しているのかという自身への問はまだ答えが出ない。
しかし、この後に続く一文にすごく勇気づけられる。僕のことが書いてあるからだ。
でも、決してそんな姿勢でなければ、まちづくりができないわけではありませんし、自分や周りの誰かを犠牲にして取り組むことは、結局のところ、良い結果をもたらさないと思うのです。
人生をかけられるほどのめり込めることにうらやましさを感じながら、僕にできることを、できる範囲で始めたいと思う。
仲間を少しずつ増やしながら。
コロナが落ち着いたら、行ってみたいな。熱海に。