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「難易度が高い」とされる田舎移住を田舎側から考えてみる

Youtubeに、長野などへの田舎移住に失敗し、その経緯を紹介することでバズっている動画がいくつかある。

田舎移住の失敗例にも成功例にも注目が集まっている現状を見ると、いよいよ田舎の価値が見直される時代に本格的に入ってきたのかなと思う。まだ表面的なメリットを求めるきらいはあるものの。

Youtube動画で「失敗した」としている内容は概ね

田舎のしきたりについていけない

といったもの。

うん、ある。面倒くさいしきたり(風土・文化・ルール)が。僕ら田舎に住む者にとっても面倒だと思うようなものはいくつも存在し続けている。

失敗したと語る者たちは、移住前に田舎をどう捉えどんな生活を夢見て越したのか。そこに現実との大きなギャップがあったんだろうなと感じる。

田舎は困ってないし移住者も望んでいない

コンビニ&信号の無い長野のガチ田舎に暮らして40年。「田舎はそれほど困ってないし、どんな移住者もウェルカムってワケじゃない」と感じる瞬間が多い。

そう感じたキッカケの1つは、地元で立ち上げた地域活性のチームで ”地域の困りごと”というテーマでの話し合いだ。

「担い手不足、仕事が無い、PR力が無い等」いろんな困りごとが出され、「たしかにそうだ」と皆頷くものの、話し合いのためにひねり出した問題点の多くは、”実はそんなに困っていない”というものだった。

人が居ないことも、仕事が無いことも当たり前になってしまえば不都合に感じにくくなるし、無いなりに何とかなってしまっている現状がある。”当たり前”を深刻に捉えろという方が難しいのかもしれない。

そうは言っても行政は人口減少などの問題は深刻に捉え、UIターン推奨でいろんな施策を打っている。当然「移住歓迎ムード」を打ち出してはいるが、実際に受け入れるのは地域であり住民だ。地域に歓迎ムードがあるかは、地域による

実際に受け入れる側は、特別移住に前向きな地域でなければ「UIターンで来るなら拒まないけど、地域のルールに従ってね」という感覚なのだと思う。

また「以前の移住者は”気に入らん・馴染めん”と言ってすぐに出て行ってしまった」という負の感情を移住者に対して持ち続けている住民もいる。トラウマに近い。

そのようなことが続けば、「好きで来るのだから、こちらに合わせてね」になるのも理解できる。僕自身もブーム的な移住促進より現住民の幸せにフォーカスしたい考えだ。

人付き合い・しきたり・不便さ、そういったものをひっくるめて愛せる人でないと、なかなか馴染めないのが『田舎』。自然や空気、生活コストなど、自分に都合の良いメリットだけを目指して移住してしまうと、お互いに不幸になるケースが出てくる。

これが移住にまつわる理想と現実のギャップだと思ってる。そのギャップを感じているのは移住者だけでなく、移住を受け入れる地域側も同じだということが置き去りにされていないだろうか。

住民側の『移住者を受けれてみた』系の動画でも出てくれば、また違った視点からの田舎移住に触れられるのかな?(移住者 vs 地域住民 みたいな対立構造はごめんだけど・・・)

個人的に ”田舎は憧れるだけのポテンシャルを持っている” と断言できるけど、光が強い分影も濃い。田舎の面倒くささに対する許容量の大きな人の移住が「こんなはずではなかった」を回避するポイントなんじゃないかな。

田舎の不都合をどの程度許容できるか

移住する前に知っていれば、「こんなに面倒くさいなら移住しない」という選択肢も出てくる。「もっと自分に適した地域を探そう」であったり「移住よりも今のままがよい」と。

『田舎に住む』ことに対する適性が、自分にどの程度備わっているのか。許せない!と感じる田舎のしきたりも、住むうちに許容できると思えるのか。それには実際の体験が必要だ。完全移住の前に。

移住体験。それも半年くらいは地域に入り込んで”地域のつきあい”を実際に体験してみる。区や班、組と呼ばれる地域の小集団に入り、一般に言われる「田舎の闇」を体験することで、なんだこの程度かと思えるか、それとも”こりゃキツイ”になるのかで移住に対する自分の判断基準が明確になる。退路を断つ必要もなく移住後の生活をカラーでイメージできるだろう。

そのカラーがグレーやブラックなのか、それとも虹色なのかで移住を決めたらいい。それが自分の為でもあるし、移住先地域のためでもある。

田舎体験が実現しやすい世の中に

今の仕事を続けながら体験移住、つまり『プレ移住』ができるような働き方(在宅勤務/リモートワーク)が広まりつつある。

少し前までは”先進的”だったリモートワークも、今では「リモートワークができる」ということが、その会社を選ぶ基準の一つになりつつある。生きることと働くことを近づけたい人が増えているんだ。

コロナで地方のインフラ投資は猛スピードで進み出した。

数年前には「この地域に光ケーブル敷設はない」と言われていたような我が地元も、数年内には敷設がほぼ終わる。

ネット環境の整備が進み、仕事を持ったまま移住を考えられれば、体験移住しやすくなり、結果、田舎暮らしの本質的な理解も進むはずだ。

そして受け入れ側の地域も、移住者の適性を判断したり、田舎・地域なりのルールをじっくり覚えてもらうこともでき、理解が進めば「この人になら我が地域に来てもらいたいわ☺」になる可能性が高まる。

みんなハッピーになるために双方に時間が必要だ。

こういったまちづくりに関するアイデアを住民ベースで考えられるといいんだけど。それを実現するのが、僕らが始めた ”むらがるプロジェクト” なんだろうな。

面倒くささも抱きしめたまま田舎を愛する

Youtubeで語られている田舎の面倒くささは事実だ。僕もそれが嫌で20歳で田舎を飛び出したクチだからよくわかる。わかりすぎる。

ただ、今はそういう面倒くささを抱きしめたまま地元を愛せる人を増やしていきたいと思うようになった。

「都会に対しての田舎」という見方を続ければ、田舎には足りないところばかりだろう。

面倒、不便、何もない といった事をネガティブに紹介する情報にさらされて育つとしたら子供たちが心配だな。「閉鎖的だ、山だ、サルだ」とからかわれるたびに、生まれ故郷を呪うようになる。かつての僕がそうだったように。

閉鎖的が良くないと思えばまず自分から変わればいいし、山があることは今となっては財産だ。サルだと言われたら「ウキー!」と返して笑わせればいい。

そんな精神を育てていきたいんだよね。周りにも自分自身にも。

地域のしきたり(文化・風土)を1つの視点から否定・指摘しても、誰もハッピーにならないよね。

田舎は都会のための避難所ではないし、都会だって田舎のためのオアシスではないはずだ。対立も対比も必要なくて、どちらもより”らしさ”を持って輝けばいい。そんな風に思う。

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