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現実的フェイク

まだ言葉が話せない頃、嘘なんてありえなかったことを知る。

初めて、嘘をついたり、嘘つかれたことを憶えている。幼稚園の先生に怒られて嘘泣きしたことや、ピカピカの泥団子を壊してないと嘘をついた。英会話や歯医者に嘘つかれて連れていかれたし、おもちゃを買うと嘘つかれたりもした。いつの間にか、世の中には嘘が溢れていた。でも、あの頃、嘘なんかどうでもよかった。日本は世界で一番小さい国なんだよ、とか、ベルトがあれば変身できるんだよ、とか、たとえ嘘であっても、純粋に会話を楽しんでいたんだ。だから、嘘を嫌うようになったのは、嘘で傷つくようになってから。それまでは嘘なんて存在していなくて、それは空想だった。空を飛べることができて、ぬいぐるみと話すことができて、ヒーローに変身することができた。いつの日か「嘘=空想」という考えが生まれてゆく。俺変身できるんだぜ、と言うと、お前嘘つくなよ、と言われる。その瞬間、変身という言葉が嘘になるし、空想が嘘に成り果てる。だから、嘘なんてありえなかった日が羨ましいのだ。だからといって、嘘を拒絶して生きてゆくことなんてできなくて、嘘と向き合って生きてゆくしかない。だから、嘘が、演技、フィクション、物語、マニフェスト、曲、広告、デザイン、宗教、国家、になってゆく。だから、嘘と向き合うことで生まれてくるものは、人類の遺産となってゆく。

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