宝玉

 旅の途中、その村もいつものように通りすぎる予定だった。しかし路地を歩いてる間にたくさんの罵声と泣き声、嘆きを耳にしたので、何事だと立ち寄ったのがそもそものきっかけだった。
 泣き疲れた女から話を聞くと、村の存続に関わる危機に陥っており、唯一の手段は村の宝を差し出さねばならないという。もちろん村人の総意で宝を差し出すことにしたが、誰もがそこで二の足を踏んでいた。宝はとても危険な場所にあり、取りに行っても無事で済むかどうかわからないという。女は繰り返し「あんな恐ろしい場所」と言うように、そこは恐ろしい場所なのだろう。しかし村人すべてが泣き崩れているのはどういうことだ。
 村長から話を聞いて納得した。誰かひとりが犠牲になれば済む話だが、そのひとりになりたい者などいるはずもない。村長にとって村人は愛する家族だ。その誰かを指名することはできずにいた。
 いっそ宝を差し出すことをやめるかといえば、そうもいかない。宝を出さねば村ごと滅ぶのだ。
 いつしか村人同士で罵声が飛び交い、泣きわめき、力なくうなだれ、手の入らない田畑は荒れていく。それらを村長は途方に暮れたように見つめるしかなかった。期日は目前に迫っている。
 話を聞いているうちに村長も村も気の毒に思えてきた。それに、いつもなら通りすがる自分が話を聞いたのだ、これも縁だろう。恐ろしい何かを知らない自分だからこそ動けることもある。
「自分が行こうか」
 村長が顔を上げた。

 宝は隠された洞窟の奥にあるという。案内人たちに連れられて美しい鍾乳洞をくぐっていくと、ひらけた空間に出た。祭壇も何もない。あそこです、と指された場所は深い深い崖のはるか下、美しく澄んだ湖だった。目を凝らすと、確かに底になにかある。
 おずおずと村長が言った。
「湖に沈む宝玉を取って、こちらへ放り投げてください。それで終わりです」
「はいよ。潜って取ってくるだけなのに、なんで誰もしないのかね。ひょっとして泳げない奴しかいないの」
「いえ。あの湖はこの世でも数少ない神聖な場所です。神聖すぎて生き物はなにも住んでいません」
「エビくらいいるでしょ」
「いいえ。生き物はなにも」
 真実を語る瞳に、自分の頬がひきつった。あそこは毒の水たまりなのだろう。

 問題はもうひとつある。水面はかなり下にあり、鍾乳洞の滑らかな崖をよじ登って戻ることも難いだろう。同時に、ここに来るまでに誰も綱らしい物を持っていないのだ。嫌な予感しかないが、確認は必要だろう。
「村長。玉を取って、こっちに投げろって言ったよな。玉を手に持って戻ってくるわけにいかないのか。そもそも命綱とか必要だろ」
「命綱を使ってはいけないのです。神聖な場所から引き揚げるのですから、道具を使うことで宝玉の力を失ってしまいます」
「なるほど。人身御供か。そりゃ誰もやらないわな」

 不安そうな村長たちに「断る気は無えよ」と言って崖の先に向かった。

 一人で旅を続けてきた自分には、ここで誰かの顔が浮かぶわけでもない。こういう死に方も、なにかの縁だったんだろう。