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2025年1月のインプットたち【本と展覧会】

2025年はインプットしたものを書き残していくぞ!と決めたので、1月のインプットたちをまとめた。

展覧会

『ポケモン×工芸展—美とわざの大発見—』(麻布台ヒルズギャラリー)

「2025年は展覧会に行く回数を増やしたいよね〜」と夫婦で話していたところ、夫が『ポケモン×工芸展』が気になるというので急遽チケットを手配。想像以上に混んでいたけれど意外と大人の割合が多くて、安心して見ることができた。
綺麗に撮影できなかったけれど、ピカチュウでできたレースがとても素敵だった。

さまざまなピカチュウでできたレースの中を通る展示
新年早々、縁起の良さそうなブースター

『お口に合いませんでした』(オルタナ旧市街/太田出版)

ご飯本の新しいスタイル。口に合わなかった料理を恨めしく、だけど軽やかに描いた短編集。
ゴースト・レストランで提供されるシチューのくだりは、まさにいろんな好みがあるよねと思わされた。不味い料理は存在せず、単に自分の口に合わないだけなのだと。
料理の描写は、本当にご飯がお好きなんだろうなと思わされる表現力。うわぁ〜そういうご飯あるよね〜!とすぐに想像できるように描かれており、読みながら美味しいものが食べたくなった。
個人的には、短編集とはいえ短編集がすぎるように感じたので、登場人物をもう少し深堀した厚みのある世界観がほしかったなと思うところ。

『調査する人生』(岸政彦/岩波書店)

ずっと気になっていたけど怖くて手が出せなかった一冊。読んでやっぱり。私が人生をかけてやりたかったことは生活史だったって気付いちゃった。
記者や編集をやってきたけれど、私が行くべきはアカデミアだったよ〜!リスク回避と差別の話なんか、まんまこう「そうだよねぇ〜!」と思うことの連続で。こうしたことを考え続けるコミュニティにいたかったなぁとハンカチを噛み締めながら読んでいた。金銭的な余裕がないため大学院進学はかなり厳しいけれど、本当にやりたかったことを見つけられたことに感動している。私はフィールドワークや取材がしたいのであって、纏める仕事がやりたいのではないなと思った。

『菜食主義者』(ハンガン/cuon)

話題になってから手に取るまで時間がかかったのは、本書がフォーミーかノットフォーミーか分からなかったから。結果、1文字もこぼしたくないほどフォーミーな文章だった!官能的で美しいのに、寂しさと断絶を感じる文章が良かったなあ。翻訳者の方の力を感じる。読む目が止まらなくて1日で読み切ってしまった。
訳者あとがきに書かれていた1文を読んで買ってよかったなぁと思った。本書を読み終えた後だから余計に染みる。

「私」は家族の中で形成され、その家族によって「私」であることを妨害される。

『菜食主義者』訳者あとがき298pより

ハンガンの他の小説も読みたい。

『バリ山行』(松永K三蔵/講談社)

2024年に登山を始めたことをきっかけに気になっていた一冊。山を登っているのに会社のことが頭から離れない波多がまさに私で「わかる〜!」と頭抱えながら読んでいた。大山の鎖場を通った時かなり生死の境を感じた私。鎖場でこんなになっているのにバリ山なんてやったらどうなっちまうんだ……と震えた。
会社の今後について不安をこぼす波多に対する妻鹿さんの言葉が、今の私に刺さる言葉だったので引用。自分で勝手に不安を作り出して押し潰されがち。目の前の足の踏み場が安全かどうかにだけ意識を持たなきゃ。

「あれは本物だったでしょ? 本物の危機、あれだよ」(中略)「会社がどうなるとかさ、そういう恐怖とか不安感ってさ、自分で作り出しているもんだよ。(中略)まぼろしだよ。だからね、やるしかないんだよ、実際に」

『バリ山行』115pより

妻鹿さんの結末に喰らってしまった。読み終わってしばらくは泣きじゃくった。妻鹿さんのその後が知りたすぎて、救われたすぎて……でもそれは自分が救われる様を見たいだけだよなと腑に落ちる。

『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎/新潮文庫)

あまりにも日々が退屈だったので手に取った。個人的にはこの体調のタイミングで読めて良かった。かなり濃い内容ではあるものの、語り口が軽やかで読みやすい。「この哲学者は信用できない(意訳)」や「この哲学者の限界だ(意訳)」など、バッサバッサ斬り倒していく爽快感がすごいのよ。
ずっと第2の退屈について頭を悩ませてきたけれど、読み終わる頃には何となくこういうことかな……?と思えるようになったので、もし読書会とか開催されているなら参加したい。細かく紐解いたらまた違った面白さがありそう。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社新書)

時間のある今、この新書を読まなくてどうする!と思い、ようやく手に取った。ずっと気になっていたものの、本書のタイトル通り働いていて本を読む暇もなかったのだ。
半身で働こうというメッセージ性は感じるものの、個人から波及してこの流れが広がっていくとは考えづらいよな~と思ってしまった。私がいた部署は全身どころか自分って3人いるのかなっていうくらい、働かざるを得ない環境だった。まあその結果身体を壊すことになるんですけど。
三宅氏のおすすめの読書法の一つに、Kindleで本を読むというのを挙げていたが、個人的にはおすすめできないかも。私の場合、Kindleで読書を続けると目が滑ってしまい、内容が頭に入りづらい気がするのだ。せっかく読了したのに全然覚えていられないというか。読書の効果を感じづらかった。かといって満員電車で本を広げる余裕なんてないんだよね~。読書時間の捻出って本当に難しい。

『傷つきのこころ学』(宮地尚子/NHK出版)

私ったら満身創痍なのに傷の手当てもしないまま、ここまで来ちゃったわ。と思い、本書を手に取った。最近は休養学などの回復にフォーカスを当てた書籍が流行っているが、こうした切り口ではなかなか見かけないので興味があったのだ。
休養学系の書籍と比較して、これをすれば心の傷は治ります!というのは明記されていないが、優しく方針を照らしてくれる温泉みたいな本だった。著者の友人の言葉が響いたので、私もたんまり石を拾って立ち上がろうと思う。

私の友人は「転んだときには、どんな石を拾って立ち上がるのかを考える」と言います。

『傷つきのこころ学』p074

『勉強の哲学』(千葉雅也/文春文庫)

『センスの哲学』を読んで、千葉氏のほか著書も気になったため手に取った。千葉氏の本って冒頭がまどろっこしくて辛いんだけど、読み進めていくときれいに伏線回収されるし、突然突き刺すようなこと言うから読み続けたくなっちゃうんだよね。

今回私が言葉に刺されて動けなくなったのはこちら。

この人はまさしく『ドラゴンボール』の話を始めてしまった。
残念ながら勘違いです。確かにこの場では『ドラゴンボール』が主題ですが、そのこと自体が目的なのではない。思い出を共有し、親睦を深めるという言語行為に主眼があるのであって(略)

『勉強の哲学』

友人とドラゴンボールって懐かしいよねという話で盛り上がっている中、クリリンの具体的なエピソードを差し込んでしまうことに対し、千葉氏は勘違いをしていると一刀両断するくだり。懐かしさの共有をしているところにオタクエピソードを展開するなということだと思うんだけど、私はやりがちなムーブなので頭を抱えた。本書は、『勉強の哲学』というタイトルを冠しているけど、前半の方はコミュニケーション論が多くて、心が傷ついてしまう。ダメな例として言われたこと、だいたい私やっているもん。

ある結論を仮固定しても、比較を続けよ。つまり具体的には、日々、調べ物を続けなければならない。別の可能性につながる多くの情報を検討し、蓄積し続ける。
すなわちこれは、「勉強を継続すること」です。

『勉強の哲学』p141より

私は友人との食事会先を食べログで選定するのにものすごい時間をかける。何ならここにしようと決めた後も食べログでいろんなお店を比較し続けている。夫からは呆れられるが、千葉氏が私の変な行動を肯定してくれたような気がしてうれしかった。まあ、飲食店選びは勉強ではないのだけれど。

ちなみに、『暇と退屈の倫理学』の中で、「決断するとその奴隷になる」と書かれていたけれど、本書にも似たようなことが書いてあった。2冊まとめて読むのをおすすめしたい。

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