罰が当たったんだよと思っている話
祖母に対して恩に着せたいとかじゃないんです。
何度も言っているように祖母には自分でしたくてしている事なので、
ここで言いたいのは図々しい母の弟(叔父)についてだけです。
そして体裁だけは気にして、良い息子を演じようとしている叔父について記録にしたいだけです。
わたしが祖母のお家へ行くたび行くたび、お掃除して カーペットが汚れてるなと思ったら買い替え、 下着も靴下もくたびれて来たなと思ったら買い替え、 (全部プレゼントです)
ベランダにゴミを置いたりプラスチックやダンボールを置いてゴミ溜めになってても叔父は放置。
だからわたしが片付けていたんです。
どんどん物だけが増えてベランダを隔てたお隣さんのほうへ段ボールの切れ端が行ってしまったり
他のゴミのカスが飛んで行ってしまうから。
コロナ禍になったばかりの頃にわたしがやってた銀行の支払い、買い出しを自分(叔父)がやるようになったからと言って
さも「やってます」感を出し 下着類に関して何も今まで干渉して来なかったくせに、何も知らないくせに 「ヒートテックを着せてあげて」と言ってくる。
母とだって毎年、昔からじじにもばばちゃんにもあげていますけど。
祖父が亡くなってからも母とくたびれた物に関しては
二人で選んで祖母にプレゼントしてましたけど。
でもヒートテックはお出かけのときは着てくれるけれど、見た目だけで薄くて寒そうと言って、家に居るときや寝るときは綿のグンゼじゃないと嫌だと言われて来てるんです。
そんなことも叔父は知らないくせに、一度もして来てないからこそ知らないくせに
「ばばちゃんヒートテック嫌がるから」と言ったら 「そこはセシルが無理にでも着せないと(笑)」とか言われて。
貴方何様何ですか。言うのは簡単なんです。
セシルがあちこち綺麗にしてくれたんだ、と祖母が言っても
「おお、よかったじゃん。」だけ。
極たまにありがとうね、と言われるだけ。
いつも火曜(だけ)に来てゴミ出し当番をやっているくせに、 わたしが祖母宅にお泊まりに行っていたら
「それ(ゴミ出し)さえも」わたしがやると思ってて。
いつもより遅く来て玄関に着いた瞬間、ため息混じりに 「やっぱりまだある…」と言われましたw
全部その時のではっきりしたよね。
「恩返しなんだからやって当たり前」だと思われてたからなんだなって。
叔父の娘でも無いのに、わたしが困っていたとき何もしてくれていないのに
図々しい。祖母がわたしにしてくれたことは祖母単体の気持ちです。
祖母がセシルにしてあげたこと=俺からでもある、なんて自分本位に思わないで欲しい。
わたしは「〜してあげてるのに」って祖母に思っている訳じゃないんです
わたしは好きでやってる。ばばちゃんのためにやりたくてやってる。
でもそれを息子の叔父に当たり前だと思われる筋合いはないんだよね。
そもそも、祖父が亡くなってから祖母が心配で祖父母宅に暫く母と居たときも、
叔父、母、祖母、わたし、で買い出しに行くと必ずと言っていいほどレジで会計する時に消える。
(これ、あまりにも日常で三人でいつも笑ってた)
お米だけ買ってあげるよ、と言うときもあるけど 「母ちゃんだけが食べるわけじゃないから」とわざわざ言う。(これも叔父らしいよね、と当時話してた)
それはママが病気になって治療中しんどくて、祖父母宅に母とわたしで一緒に居たときも一緒。
昔からの息子コンプレックス(←でもこれは勝手に思ってるだけじゃん)と家買ったとき?のじじばばへの思い?恨み?なんだかがどこまでなのか知らないけれど、ここまで徹底してるんだなと思いました。
一昨年、田舎の親戚から毎年送られてくるお林檎が祖父母の背中を労って叔父の所に送られました。
それを、叔父が祖母の手元に持ってきたのはたったの3個。
普通24個ないし30個近く届いていれば
祖母がご近所さんにあげたりして楽しんでることを何故考えられない?
今まで何故、そうやって沢山林檎が届いてたか気付けない?
いつも無駄にしていると思っていたの?想像力が乏しすぎない?
祖母はそれが楽しみなのに。 何故自分に届いたと思うの?
常識的に考えたら 「母ちゃんのりんごだからこのまま持って行くね。そこで分けよう」ってなるものなんだけれど。
そしていつもわたしも貰ってるんだけど。何も考えられないんだよね。
自分が一番だから。
むしろ「長男で」、「息子だから」、当然?
おかしいと思うことは数え切れないほど沢山あった
叔父が過去のじじばばへの思いや、父を悪く言ったり
母が亡くなってから過去の事で悪く言ったりしていたけど
(勿論父母にも落ち度はある、嫌な思いもした)、
わたしには今までの事も含めて、見ていてやっぱり変なのは叔父だとずっと思っています。
自分の常識を常識だと思いこんでる、自分が一番正しいと思ってる。
長男を都合よく使い、息子として当たり前のことをしているだけなのに
「やっている感」を出す。
叔父は、今までの行ないが自分に返ってきてるんだと思う。