【エッセイ】逃げ場もまた、ありて、なければ。
現在の逃げBar閉店まであと2ヶ月。
思い返せばいろいろなことがあった。
普通のカフェを居抜きで借りて、店内のすべてを白に染めて、キッチンを壁で囲んだり、入り口をにじり口にしたり、賃貸とは思えない狂ったDIYをさせてもらった。
大家さんの懐の深さには感謝しかない。
はじめはちゃんとした飲食店としてメニューを試行錯誤して、店長やバイトを入れてランチもディナーも毎日営業して、ほとんどの時間を逃げBarで過ごした。
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家も近くに引っ越したけど、ほぼ寝るためだけに使ってた。
そしてすぐさま、コロナがやってきた。
そもそもそんなに順調な滑り出しではなかったけど、コロナが話題にあがるほど目に見えて客足は遠のいて、緊急事態宣言からの飲食店は強制休業。
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予定していたイベントやスケジュールは全てなくなった。
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そこからレンタルスペースとしての運用が始まった。
撮影スタジオとして使いたい、というニーズを知り、撮影用の機材を揃えてPRの仕方を変えてみると、思いのほか撮影したい客層が多くて、その界隈で少しずつ、いろいろなキャンペーンをうったり、地道なSNS運用を続けた結果、少しだけ名が知られるようになってきた。
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もともとそんな運用をする予定ではなかったから業界のことは全く素人で、少しずつ学ばせてもらいながら、今では無人で営めるオペレーションにまで至った。
その後もコロナ禍にあわせて1人で店を貸し切れるプランをつくったり、あたらしくなるための生前葬「白葬」をつくったり、逃げをテーマにしたオンライン写真コンテストを開いたり、近隣の人用に格安でテイクアウトメニューを提供したり、とにかく思いつく限りいろいろとやってきた。
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とはいえ家賃を払えるだけの売り上げには届かず、コロナは延々と長引いていき、助成金には助けられつつも、いよいよ万事休す、店を畳むしかないと投稿したところ
これまで逃げBarを使ってきてくれた方々から「なんとかやめないでほしい」とたくさんの反応をもらった。
そこにはいろんな人たちがいた。
実際に逃げBarに逃げにきた人。
行ったことはないけど逃げ場があるというだけでお守りのようになっていたという人。
レンタルスペースとしてファンになってくれた人。コンセプトに共感してくれた人。
逃げに来た人たちの顔が思い浮かんだ。
コロナ禍中、仕事が辛くて辞めたくて、家に1人でいるのも辛いから、どこかに逃げたいけど緊急事態宣言でどの店も開いてなくて、逃げBarにSOSのDMをくれて、逃げにきた人。
ヘッドスライディングするように店に滑り込み、希死念慮に駆られながら、なんとかそれを抑え込んで逃げにきた人。
白と光の内装に惹かれて、この空間自体に癒しを求めて通ってくれていた人。
逃げにくる人と交流したくて、通っていた人。
誰かと話したくて。
エリクサーを飲みたくて。
家が近くて。
棺桶に入りたくて。
店長に会いたくて。
逃げる理由なんて
千差万別。
人の数だけ、逃げたいことがあって
そのきっかけがある。
逃げBarは2年目のその時点ですでにそういう当たり前にファジーな、曖昧な逃げを包括できる場となっていて
たとえば森に落ちた朽ち枝に苔がむして、虫が棲みつき、新芽が生えてくるみたいに、この場はもうとっくに自分だけのものではなくて、公共財なのだと分かった。
だからその年からクラファンをはじめて、達成したら存続、失敗したら閉店、という挑戦を3度行った。
そしてまわりのひとたちにずっと支え続けられて、今年の12月26日で5周年に至る。
今では逃げたいテーマを持つ当事者たちが10人ほど日替わりでそれぞれのテーマで逃げ場を開いてもらっている。
1日店長は累計で30人近くはいただろうか。自分1人では到底手を伸ばすことができなかった、多くの人に逃げBarを逃げ場として活用してもらえる機会になった。
この場での思い出を挙げればキリがない。
たくさんの思い出が蘇る。
でも、そのどれも少しずつ淡く、少しずつ断片的に、少しずつ消えていっている。
記憶は雪のように、美しく降って、積もるけど、溶けて消えていく。
一生忘れないなんていえない。
この場で起きたことが永遠に残るなんても思わない。
きっと消えていく、はじめからなにもなかったかのように。
逃げられたことも
逃したことも
この場の光も
地層のように塗り重ねた白さも
匂いも、床の冷たさも、ドアの外から響く車両の走行音や、ちかくにあったコンビニの名前だって、いずれ忘れ去っていくんだ。
だから、この場が消えてもみんなの記憶にはずっと残るはずだよ、なんてことに期待はしない。(自分はきっと走馬灯に出てくるはずと信じたいけれど、それも保証はないし)
その分この2ヶ月を、最後の日々をかけがえのないものとして、しっかり過ごしたい。
どんな日々もかけがえはないのだけれど、この場と過ごせる時間は泣いても笑っても本当にあと2ヶ月だけだから。
いろんな音が流れたなぁ。
いろんなイベントをやってきたなぁ。
たくさんの人が「時間が止まってるみたい」と言ってきたなぁ。
「天国みたいな場所」と言われたことがきっかけで、ここを天国の設定にしたイマーシブシアターをつくったこともあったっけ。
今ではすっかり隠居ながらこれまで全国津々浦々巡ってきた自分としても、この場に比肩する空間って見当たらなくて、予算がなくてDIYでいろいろ妥協しながら作った内装ではあるけれど、5年も日々白を塗り重ねて、聖域だとおもって場を整えて、愛着持って過ごしていれば、限りなく特別な唯一無二の場所になる。
この場を最後まで最大限、それ以上に感じ切れる機会として、1月5日から13日まで、最後の個展を開こうと思う。
個展名は「ありて、なければ」
これが自分にとってこの場との禊になる。
「愛してるから、さようなら」ということになる。
逃げBarよ、ほんとよく育ってきたね。
移転先の物件もようやく目処がつき、このミームは誠実に継承していく予定だけど、やっぱりこの場に染みついた気までは移転できないから、やっぱり一度ここでさよならなんだと思う。
そして5年かけてようやく、作品としての逃げBarが意図するメッセージを伝えることができる。
はじめから「終わることで開かれる」仕様にしていたから、作品として見たときにはこれまでの全ては伏線で、助走で、罠で、準備だったと言ってもいい。
逃げ場もまた、ありて、なければ。
下記は個展のステートメント。
”
逃げ場として開かれ続けた4年間。 この場で起きたことを総括し、最後の場を開く。
展示作品は「逃げBar White Out」及び 過去作の通奏低音として響き続けた6つの観念をそれぞれ2作品ずつ、計12の完全新作作品として制作し、過去最大規模の個展となる。
「世の中は夢か現か 現とも夢とも知らず ありてなければ」
この世界のすべては2つ同時に生まれる。
あらゆるものに両極が存在し、それは重なり合っている。
分つことの前進は、戦いの名誉として。
あるかなき進化は、レゾンデートルとして。
それはそれとして、ありて、なければ。
水、鏡、泡、音、煙、光、人、物語をメディウムに
有難き不思議に満たされた 幽玄夢幻の世界と触れる。
6つの主題を巡る
観測者との間に現象する
関係芸術展
”
見渡す限り真っ白な光の空間に供えるように、12の作品を制作する。
内訳としては、1月5日〜13日まで10作品を常設展示し、日替わりで2種の体験作品をご体験いただける仕様。
本展示会は入場無料の事前予約制。
最大でも1時間の間で6名までしか入場できないので、空間自体の広がりをしっかり味わっていただけるかと思う。
これまでの逃げBarの総括として、自分自身のこれまでの思想哲学や表現技術の集大成として、5年かけて創り上げたこの場でできる最後のそうぞう機会として、ぜひ見逃さず、体感しにきてほしい。