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tel(l) if... vol.4 三人

登場人物

千葉ちば 咲恵さきえ
 
主人公。進学コースの女子生徒。伊勢のことが好き。

伊勢いせ
 特進コースの社会科教師。咲恵の勉強を見ている。

麹谷こうじや 卓実たくみ
 
特進コースの男子生徒。咲恵から勉強に誘われる。


放課後、社会科準備室に行くと、既に卓実がいて先生の隣に座っていた。その反対側、いつも私が座っている椅子は空けてあった。

塾のように、問題集を出して、わからないところや勉強の方法を聞く。
授業で習って曖昧なまま通り過ぎてしまった箇所を聞いたりすることもある。

伊勢先生はときには教科書を、ときには問題を見て、「ぼくでわかるかな」と言いながらも、結局、教えてくれる。
そこに雑談はない。
卓実もわかるところを教えてくれることはあっても、おしゃべりをすることはなかった。

一段落して、先生が席を立った。
もしかして……と思いつつも待っていたら、予想通り、缶コーヒーを持って戻ってきた。
いつもは缶コーヒーを二つ。でも今日は缶コーヒー、紙パックのオレンジジュース、ココアがそれぞれ一つずつだった。
紙パックの方は、どれも校内の自販機で買える。
教える人数が急にニ人になったから、缶コーヒーが足りなくなったのかもしれない。それで、わざわざ二つ新しいものを買ってきてくれたのだろう。

「え、くれるの?」
卓実がそう言うと、先生は「好きなの選びな」と返した。
私はいつもの缶コーヒーが良かったが、この場合、それは先生に飲んでもらうべきだと思った。
卓実はオレンジジュース、私はココアを選んだ。

「よく飲み物奢ってるんですか?」
卓実が聞いた。
「毎回ではないよ。それにいつもは、余分に持って来てた缶コーヒーだし」
「え? 咲恵、コーヒー飲めるの?」
「うん。ブラック飲んでる」
「女子はミルクティーとか甘いの好きじゃん」
「お菓子とか甘いものは好き。でも、甘い飲み物はそんなに飲まない」
「千葉さんはコーヒーのほうが良かった?」
「そうですね、できればコーヒーのほうが……でも、これ飲んだの初めてだったので、嬉しかったです」

そもそも、私はこれまでに紙パックの飲み物を買おうと思ったことがなかった。このタイプは購買部の近くの自販機でしか買えないはずだ。
私はいつもお弁当だし、購買部にわざわざ行く用事もない。飲み物を買うとしても水か、お茶だった。

想像よりもココアは甘くなかった。
そもそも最後にココアを飲んだのはいつだ?
どこかで飲んだ気がしていただけで、初めてだったのかもしれない。

先生とはそこで別れて、私と卓実は駅に向かう。
先生の手前、静かにしていたのか、卓実はおしゃべりになった。
「伊勢先生、結婚してないって。彼女もいないよ。いま、実家暮らしだって」

「そうなんだ」とだけ返した。とっさに興味がなさそうな芝居をしてしまった。

それから、社会科準備室で勉強を見てもらうことになった経緯を聞かれた。

「特進コースの友達に、『先生のこと見つけたら教えて』って、頼めばいいじゃん」

私が、進学コースの校舎では伊勢先生を見かける機会がなくて少し不便だった話をすると、卓実がそう言った。

私にも特進コースの知り合いはいる。
私の所属する文芸部はほとんどが特進コースの生徒だ。
昼休み、私はその子達とお弁当を食べている。
それでも、頼むという選択肢はなかった。
私が伊勢先生推しであることは、他の誰にも伝えたくなかった。

「まぁ、これからは俺がいるし、いくらでも協力するから」
「協力? 何の?」
「伊勢先生のこと好きなんでしょ? 協力するから」

たしかに先生のことは好きだけど、私の気持ちは傍から見ていてそんなにバレバレなのだろうか。
当の私が、最近気づいたというのに。

「好きではあるけど、私の場合、隠れファンのようなものだから、どうこうなろうとは思ってないよ。今みたいに勉強を見てもらえればそれでいい」
「大丈夫だよ。わかってるって」
まだ何か言おうとしたけど、卓実に遮られた。
「そんなに警戒しないでよ」

私達は連絡先を交換した。
今日のように、毎回私の校舎に来て報告するのは大変だから。
男子の連絡先を登録するのは初めてだ。
部活にも男子はいるし、もちろん話すこともあるけれど、個別に連絡を取り合う必要はなかった。

内心、複雑だった。
伊勢先生の個人情報が、聞けたのは嬉しい。
反面、そんな大事なことを簡単に聞けてしまうのか、と思うのも事実だ。
自分が必死で小さく積み重ねたコミュニケーションを、彼はすぐにやってのける。それも最短距離で。 

呆気にとられたあとで、どっと疲れた。
それでも、卓実のことはなぜだか憎めなかった。
不意に言われた「大丈夫だよ」がなぜだか胸に残った。


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