
「七色の少年」
アスファルトがじりじりと熱を帯びる姿は、見ているだけで体感温度を上げた。久しぶりの母校への道は思ったより時間がかかって、毎日ランドセルを背負って通っていたことを考えると、大人が思うよりずっと、子どもって強いんだな、と思った。
「かしこく 明るく なかよく たくましく」
小学校の学校目標だった言葉は、大人になってからいい言葉だと気づいた。自分が生まれたのが早かったせいか、小学校時代の記憶もしっかりと残っている。今日は、久しぶりの旧友たちと集まって小学校を訪ねるという約束だった。なんだって、こんな八月真っ盛りに設定したのかと今更後悔したけれど、ちょうど全員の都合のつく日が今日しかなかったのだから仕方がない。
自分の小学校時代を振り返ると、楽しかった記憶と、出来れば思い出したくない記憶とが入り混じる。なんだかいつも走っていて、身軽であったことと、大きな声を出すことが日常的に許されていたこと―――厳密にいうと、許されていたわけではなかったが、許容され、また、自分でも周囲を気にせずにすんでいたこと―――は、子ども時代の特権であったように思う。友人たちとよく「またあした」を繰り返した交差点は、今も昔も通行量が多く、道路の向こう側の友人の名前を、いつまでもいつまでも、大声で繰り返し呼び合っていた日々が、陽炎のようにアスファルトに立ち上った。
わりとすぐに思い出せて、そんなに遠くまで来たとは思っていないのに、自由研究と離れてからずいぶん経つ。なんなら、学生服を取り出して、いつも通りの準備をして、いつも通りに学校に行けば、教室にはあの頃のままの光景が広がって、デスクワークの日々がむしろ夢だったんじゃないかって思う日が来るんじゃないかって、そんなバカみたいなことを考えては、けれどすべてを否定できないでいる。
―――――わかっている。戻れない。
教室の窓際も、気怠い授業も、机から香る木のにおいも、休み時間が始まる直前の、男子たちが外へ行く準備体操を始めるのも、盗み見た好きな子の横顔も、先生の癖を数えることも、夏の日のプールの、きらきら反射した光も。毎日いえた「また明日」も。
あれらは、あの瞬間、あの一瞬にしか手に入らなかったものたちだ。
こんなことを言ったら、今の生活に満足してないんじゃないかと思われそうで、誰にも言えていない。だけど、どうしてだろう。今日は無性に、あの頃のこと、あの日だけのこと、話してみたいことがたくさんあった。
「もう手に入らないもの」を想うと、いつだって切ない。
汗と一緒に、急にぶわっと謎の力が湧いてきて、信号が青になるのと同時に、足が走り出した。
〈了〉