spica.5 フォロワー100人とは。
純粋な感想をタイトルにしました。(センス…)
顔も性格も、普段の私を知らない方が、私の文章や写真などを見て、「まぁフォローしてもいいかな」と思ってくださったことは、本当に有難いことです。(私が一方的にフォローし、それに返して下さった心優しい方の多さにも、有難さでいっぱいです。)
この場をお借りして、御礼申し上げます。
いつもありがとうございます。
Twitterを個人的にやっているのですが、ある記事を見てから、怖くてあまり書き込めなくなったことがあります。
「たとえばフォロワーが40人いたとすると、それは一クラス分と同じ規模であって、教室で大声で、自分のことを語っている行為に近いものがある。」
内容は、もっと具体的だったような気がしますが、ざっくり要約すると、このような内容でした。たくさんリツイートされたものが偶然回ってきたので、どこのどなたの言葉なのかもわからないけれど、その時私のフォロワーは友人のみ100人以上は優にいて、自分の発言がそれだけ公の目にさらされることに恐怖を覚えました。
インターネットは、お互いの顔を見ながらやり取りするものではありません。ある一定の信頼を不特定多数の公に預け、自分の意見や作品を投稿する。それが出来る環境であることは、文明の利器というか、多大な恩恵を受けているなと感じます。
けれど、だからこそ、相手の顔が見えないことは現実世界のルールやマナーを無視していいことにはならないのだな、とも思います。
私はまだまだ未熟な文章で、それを100人の公の目に晒すことはやはり怖いです。けれど、怖いからこそ、顔が見えないからこそ、相手の言葉や画面の向こうの息遣いにも注視して、お互いが気持ちよく作品を愛でる環境を、身近なところから丁寧に築いていきたいなと思います。(自分が「礼儀」だと思っていたものが「他人行儀」に姿を変えてしまったりするので、さじ加減は頗る難しいのですが…。)
文明の利器は道具でしかなくて、使うのはどうしても人なのだと思います。
これからも、自己満足にしかなりませんが、自分なりの文章や言葉を、この場に出して行けたらなと思います。みなさんのコメントやスキが、本当に励みになります。(コメントには返せるのですが、スキを押して下さった方に、スキを押したいくらいです。)
まだまだ拙い文章ですが、今後も温かく見守っていただければ幸いです。
〈了〉