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「いつかの君の世界」
三限の鐘が鳴る。
昼休みにあれほどいた人の群れがようやくまばらになって、一息ついた。
図書館前のテラスには日がぽかぽかと当たって、どこまでも青い空だった。
昼休みからすすっていたリプトンが底を尽き、ずず、という音がストローの先で鳴った。先週まで、どれだけ日差しがあっても風だけはひんやりとしていたのに。なまあたたかい空気と一緒に、夏の後姿が見える気がする。
「夏嫌いなんだよなぁー…」
口に出すと余計にだるさが増した。足元のサンダルですら重く感じる。
「お前、大学生で夏が嫌いって致命的だぞ。」
Tシャツに短パン姿のリョウタがからかうように言った。サッカーサークルそのままの日焼けした肌は、心底夏と相性がよさそうだった。
「海とかBBQとか花火とか…あと祭りとか?イベント尽くしじゃんか。」
「だから嫌なんだよ、俺インドア派だし」
「ひきこもってゲームしてるだけじゃねえか」
「それに一人暮らしからしてみたら、電気代高えーし、食材ダメになるのはえーし、いいことねえんだよ…」
夏の嫌なところばかり思い浮かんで、本当に嫌になった。そういえば流し下に入れたままの菓子類、帰ったら食べるなり捨てるなりしないとだな、まで考えて、冬であればこんなことに頭を悩ませないのに、と余計に苛立つ。
「ま、お前は彼女もいないしな。そのままひきこもってろよ」
きしし、と歯をむき出して馬鹿にしたように笑いながら、リョウタはコンビニの袋からぴあを取り出した。花火と祭りの情報満載!と銘打った表紙の通り、リア充のための本。
「お前、彼女と長いんだっけ」
「おう。ま、幼馴染だからな」
「え、そうなん?」
「あれ、言わなかったっけ?同じマンションなんだよ。幼稚園から一緒。」
別れたら気まずいわー、と言いながら、リョウタは幸せそうだった。何事もなくこいつらはこのまま順風満帆に結婚して子ども産んで、暮らしていくんだろうな、と、なんの根拠もなく思った。
「いいな、そういうの。」
大学入学と同時にフラれた彼女の顔がぼんやりよぎる。男子校だった俺と、女子高だった彼女は、よくある感じで文化祭で知り合い、周囲の後押しと、お互いの特殊な環境のおかげですぐに付き合った。
初めての彼女だったし、浮ついた自分は何度も空回りしたけれど、人生の中で幸せな瞬間を数えるとしたら、いくつも指を折ることのできる、そんな2年間だったと思う。受験期にお互いなかなか会えない状態で、携帯越しに感じる何となくの距離はひらいていって、彼女の生活習慣すら見えなくなってきた頃、「あ、たぶんこれ別れ話だな」とわかってしまうほどの深刻そうな声でかかってきた電話。それ以来、連絡はとっていない。
「相手の全部知ってるっていいなって、思うわ。」
「そうか?」
「だってお前、幼稚園からの彼女をずっと知ってるってことは、知らないことなくね?」
「いやー…どうだろ?そりゃ他の人よりは多いだろうけど」
ペットボトルのお茶を口に含んでから、リョウタがうーんと唸った。
「元カノと付き合ってた時さ、こいつの中学時代とか、小学校とか小さい頃とか、見てたもの全部共有できたらいいのにって、何回も思った。」
空になったリプトンの黄色いパックを眺めながら、いつのまにか本音が口をつく。小学校の帰り道、卒業式の桜、修学旅行の京都、初めて告白した日のこと。楽しそうな思い出の一つ一つ、どうしてその中に俺がいないんだろう。もうどうしようもないことが悲しくて、それで喧嘩してしまったこともある。
そういえばこのレモンティー、あいつもよく飲んでたな。と、余計な記憶まで掘り起こした。
「お前意外とめんどくさいのな」
リョウタが意外そうにこちらを見る。
「うるせーよ」
「まぁ、同じ風景を思い出せるのは、確かにいいなと思うけど」
「だろ?」
「いや、でも実際、同じもの見てても不安になるぞ」
こんなこと言うと身も蓋もないけどな、とつづけて、リョウタが苦笑いした。
「まじかよ」
「俺の場合は、自分の記憶とあいつの記憶、本当に一緒かな?って不安になる。」
「…どういうことだよ」
「いや、なんつーか、俺はあの時嬉しかったけど、その時のあいつってどうだったかな?みたいな?」
「のろけかよ、ふざけんな」
「いやほんとだって。記憶なんて同じもの残ってねーんだよ。どんどん美化されるしな。」
『どんどん美化されるしな。』
本当にそうだと思った。どの記憶もきらきら眩しくて、元カノの綺麗な笑顔しか思い出せなくて。同じように過ごした日々でさえ、俺とアイツとでは持ってるものが違うんだ、きっと。
「なんか、救われねー…」
「そんなもんだろ」
なんだか突然くだらなくなって、俺とリョウタは顔を見合わせて、それから笑い出した。こんな当然のこと何本気になって話してるんだよ、と、リョウタがテーブルから足を投げ出して、テラスの外を見てまた笑った。
「かわいい子紹介してくれよ」
「外に出るなら考えてやるよ」
「わかった。でる。」
「なんだよ急に」
「いや、なんか余計なこと考えるのあほらしくなって」
「それ夏のいいとこだろ」
ははは、と二人で声をあげる。もうすぐそこまできた日差しとも、何とかやっていけそうな気になってくる。
「アイス食べたくなってきた」
「生協行くか?」
「完全に今スイカバーの気分だわ」
夏に背中を押されるように二人は立ち上がった。
〈了〉