spica.6 正義について。
「正義」について考えました。
私は、正義とは「多数派」であることと同意義だと思っています。
それ以上でも以下でもなく、ただ、多い方が正しいと認められることが、圧倒的に有利であると。「全体としての正義」は、「数の多さ」であると。
でも、「個人としての正義」は、全く別物だと思います。
それは、「自分の信じる物」と同意義であると思います。
私たちは、たぶん、たまに誰かの「個人としての正義」に寄りすがって、「全体としての正義」に作り変えてしまうのかなと。
学生時代知り合いに言われてきつかったもののひとつに、
「偽善者」
という言葉がありました。
私は、その時風に倒れた自転車をたまたま目の前で見て、咄嗟に、誰の物とも知らないその自転車を起こしたけれど、視点を変えればそれは確かに「偽善者」だったんだな、と、理解できるようになったのはずっと後でした。
勝手に自分を定義されたことが腹立たしかったし、悔しかった。
けれど、「偽善者」の否定も出来なくて、自分ののこういうところが「偽善者」なんだと、幾分悩んだ時期もありました。
だけど、今考えてみると、本当に小さなことで。
見方が違う人が世の中にいるだけで、それだけなのだから、自分の信じるように生きていいじゃないかと、今だったら笑い飛ばすことが出来るのに。
あの時へこんでた自分を、出来ることなら笑い飛ばしてあげたい。
自分の思うまま生きて、けれど、それが誰かを傷つけたとしたら、正式な謝罪が必要で、失った信頼を取り戻す努力をすることは、お互いの関係を諦めていない証拠になると思います。
私はたぶん、あの時、「傷ついたよ」って、言うべきだったんだろうなと、今ならわかります。それさえ提示せずに、自分のこともよくわからないまま、その人のことが一方的に苦手になって、なるべく避けるようにしてしまって。
あれは、その人との関係を諦めたということだったんだなと。
「個人の正義」を誰かに押し付けてはいけないし、「個人の正義」によってたかって、自分の盾にもしてはいけない。
「正義」の難しさを考える秋の夜長です。
〈了〉