spica.10 "価値観"のこと。
「価値観が違う」
ありとあらゆる場面で聞く言葉だと思う。
人が複数いるコミュニティの中で、それはどこまでも仕方がなくて、私の人生で見て、そして考えてきたことと、誰かの人生で見て、考えてきたことが、100%同じなわけがないんだろうなぁ、と、私は納得しているし、けれど少しわくわくして、そして少しだけ、淋しい。
「最強のふたり」
という、とあるフランス映画を見たことがある。
映画好きの友人が、これでもかと勧めてきたこの作品は、生まれながらに貧困層で、ガタイがよく、人生の境遇にどこか開き直ったような黒人青年と、裕福で、物資としてのありとあらゆるものは手に入れながら、身体の自由だけは失ってしまった、年配の白人、という、全く逆の世界にいた二人が出会い、関わっていくというお話。
フランス映画独特のテンポで進むこの映画を見ながら、私はある友人のことを思い出していた。
その友人は、天真爛漫を絵に描いたような男友だちで、時折正直に物を言い過ぎて、私は少しだけ苦手だった。
彼の発言は大抵が核心をついていたのだけれど、TPOをわきまえないことが多くて、脊髄反射で思ったことをそのまま発言しているんじゃないかと思うほど、直列回路な人間だった。
その彼は、よく、差別発言に近いことをネタにしていた。
その内容について、ここで書くことはないけれど、私はそのネタで笑うことができなかった。
やめなよ、と、本気で怒ったこともある。
「最強のふたり」という映画の中での黒人青年とその友人は、私の中で高精度で重なった。
映画の中で黒人青年は、体の自由がきかない年配の白人に対して、それはもう自由に振舞った。
チョコレートを食べていた黒人青年に、「私にも一粒くれ」と、年配の白人が言うと、
「健常者専用だ」
と、チョコレートを指して言い、お腹をかかえて笑い出したりする。
かと思えば、年配の白人が体の自由が全くきかないことをすっかり忘れて(首から下が全く動かない)、かかってきた電話を手渡そうとし、「やべえ、忘れてた」とのたまう。
その後、年配の白人は、別の人間が自分に対し、腫れ物に触るように気を使う姿を見て、
「君たちはそうやって気を使ったふりをして、実は一番私のことを障害者にしているんだ!」と、声を荒らげる。
ーーー実は手元に何の資料もないので、台詞はうろ覚えなのだけれどーーー
内容としては、こうした趣旨の話だった。
価値観の定義というのは、その環境次第で変化しやすい、変動しやすいものだ、と、私は思っている。
宗教的に、文化的に、タコを嫌悪する欧米諸国の価値観と、焼いたり茹でたりして美味しくタコを食す日本の価値観を、どちらが正しくてどちらが間違っている、なんて、本来であれば誰にも言えないのだと思う。
大抵の人間は、正義感が強い。
それは時としてとても勇敢で、それは時として、とても、残酷だ。
「正義」という言葉に、人はとても弱い。
それが正義なのだと一度信じてしまったら、正義の名の元に、何をしても許される、と、手段を選ばなくなることもある。
誰かを傷つけるのも、誰かを貶めるのも、それが「正義」のためならば、仕方が無いし、許される。
だってそれが「正義」なのだから。
私は、あの時、やめなよ、と、友人に声を荒らげたとき、私のことを笑ってくれた友人に感謝している。
彼は、私の価値観を否定しなかった。
私は彼の価値観を否定したのに。
それに気づいてから、私が一番自分自身で気をつけようと思うことは、「誰かに価値観を押し付けないこと」だ。
世界中に、いろいろな価値観を持った人がいる。
野菜しか食べない、殺生をしないという考えの人もいれば、犬を食べる人もいる。裸で暮らす人もいれば、外で靴を脱ぐことすら、品がないと考える人もいる。
私はその全てを理解する必要はないけれど、その代わり、誰かの価値観を当然のように否定して、糾弾する権利なんてないことだけは、頭にしっかり入れておこう、と、思った。
ーーーーだからといって、TPOをわきまえることは時として無用なトラブルを避けることができるので、そういう場面では、相手を害さない程度に、止める必要はあるだろうな、とも思う。
どこかの慈善団体が、「くじらをとらないで!」と訴えながら、暖かそうな毛皮を身につけているのをみると(もしかすると人工のものだったかもしれないけれど)、毛皮の動物はよくて、くじらはだめなのか…と、不思議な気持ちになっていたのは、きっとそういう違和感が原因だった。
もちろん、この「価値観」も、「私の価値観」でしかないので、これが全てまかり通るわけでもないと思う。
どうしても譲れないことは誰にだってあるし、この記事の内容とそぐわない考えの人を責めるなんて、それこそ私には何の権利もないし、そんなつもりは一ミリもない。
何よりも難しいことだけれど、お互いの価値観の存在だけは認められる人になりたいな、と、もうずっと傍にやってきた冬を感じながら思った。
〈了〉