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spica.8 誰かの一番になること。



高校時代、片想い三昧で自分に恋人が出来る未来が描けなかった時期がある。(藪から棒)



けれど、その当時思春期の悩みをたくさん抱えていた私は、自分の片想いが成就するよりも、誰かの一番になることが何よりの願いだったなぁ、と、秋の風のにおいを思い切り肺に吸い込みながら、思い出した。



同性で誰かの一番になる事は意外と難しくて、それぞれにたくさんの友人がいて、その時々の優先順位があって、いつも自分を一番にしてくれるわけではない、ということを、いつだったか気づいてしまった。仮にお互いが本当に唯一無二になってしまったとしたら、それはそれで世界はつまらなく、かつ、狭い教室で生きていくためにはリスキーなことが多くて、どうにも最善策とは言い難い。

そんなことを、その頃毎日のように色んなもの(部活や勉強や宿題)から一緒に逃げてくれていた友人と、学校近くのガストで話していた時、「唯一無二の存在に自分がなる」ための策を練る無益な話し合いの結果、たった一つ出た答えが「恋人をつくる」ということだった。


なかなか安直な考えではあったけれど、「異性」というのは、やはり、イレギュラーな存在で、男女共同参画社会とはいえ、見えない境界線がずっと引かれたように感じていた。同性の中で一番は難しいけれど、それが「恋愛」という形であれば、唯一無二が自然と、簡単に、成立するぞ―――――恋人が出来ればの話――――――と、その時の私たちは、山盛りのポテトをつまみながら語り合った。




大学になって以降、友人たちは授業に恋人にサークルにゼミにと忙しく飛び回って、約束をしなければ会えなくて、その約束さえも守られたり守られなかったり、守ったり守れなかったりして。今まで束になっていた友人たちが急にちりぢりになって、「また明日」がだんだん言えなくなって。多分、人生でTOP10に入るくらい淋しかった。


それなのに、じゃあ、私が彼女たちを何よりも一番に、どんなものも差し置いて優先できるかというと、やっぱりその時々で変わってしまって、どうしても終わらないレポートや、バイトや、行きたくはないけれどこれに出ないと後々困りそうな飲み会でがんじがらめになり、優先順位はころころと変化した。






誰とも替えがきかない自分になりたかったのだと思う。






そして、厚かましいことに、より多くの人にそう思ってほしいと、心のどこかで思っている。だからこそ文章を書くのだろうし、文章を書くこと・言葉を選ぶことが、取り柄の少ない自分の、たったひとつの「アイデンティティー」だからこそ、どうしても、文章を書く仕事がしたかった。





出版社には残念ながら全落ちし、春から私は「社会」に出ていくのだけれど、「たったひとつ」すら否定されたようで、就活は苦しかった。



それでも、諦めたくないし、いつまででも際限なく書けてしまうからこそ、諦め時もわからない。言葉を選んで、言葉に縋って、ようやく自分の存在価値を見出せるように、今日も紡ぐ。






〈了〉









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