spica.9 えらぶこと。
本屋さんで本を選ぶ作業が、多分、ごはんを食べるより好きだと思う。
久しぶりに本をまとめ買いしながら、自分が本を選ぶ基準って何だろうなあと考えて、ひとつ、思ったことは、「答え」よりも「カケラ」の方が欲しいな、ということだった。
昨日或る本を手に取って、確かにとても面白そうで、読んでみたいと思ったのだけれど、その本は「答え」を出し過ぎてしまっていて、自分の考える余地が入らないまま、想像する余白がないままに読み終えてしまいそうで、結局買うのをやめた。そういう本は今までにも何冊かあって、自分が文章を書く人種だからなのかわからないけれど、「答え」ばかりの本は、どうしても、魅力が半減してしまう。
「カケラ」ばかりの本は、どんどん膨らんでいく。
膨らませることが出来る、と言った方がいいかもしれない。一つのことから十のことが想像され、新しい扉がいくつも開いたりする。
だから、というと言い訳みたいになりそうだけれど、漫画がとても好きな理由の一つには、そういうわけがあると思う。
まんがは、小説とは違う手法で読者を獲得しているわけで、たった一コマの、主人公が涙ぐんでいる絵だったり、たった一言の心理描写だったり、が、とんでもなく心の琴線に触れたりするので、その過程がひどく魅力的なのだ。
―――自分の考えたストーリーが、未熟な己の筆力では文章に出来ない時、「これ、誰かが漫画やアニメにしてくれないかなあ」と、何度もやもやしたかわからない。
「一コマ」で、今でも容易に思い出せるマンガは、まず「ONEPIECE」の17巻、チョッパーの回想で、チョッパーが多くの「自分を虐げる者たち」から逃げて、ようやく、安心してごはんを食べられる環境になった時。台詞など何もないのに、ただパンをかじるシーンで涙が出たのは、あれがはじめてだったと思う。
次に「三月のライオン」の、ひなちゃん。「どうしたって、生きて卒業さえすれば私の勝ちだ」(うろおぼえ)と、「私はまちがってない」という、二つ。いじめから友人を守って、けれど自分がいじめられるようになって、それでも何一つ悪くない、自分がしたことを後悔しないと、強い意志が紙越しに流れて、中学三年生のひなちゃんの台詞にボロボロ泣いた。ちょうどファンブックが出たので、改めて名シーンを追いながら、作者の恐るべき努力を垣間見て、また、背筋がピンと伸びたのだけれど、その話は長くなりそうなのでまたの機会に。(余談だけれど、最新刊がついに11月発売決定し、しかも、大好きなBUMPOFCHICKENとコラボして、初回限定盤にはCDがつくと聞き、現在喜びで踊りだしそうな状況です。)
そして、感動というよりは鳥肌が立った一コマが、「MONSTER」の最終巻、最終ページの一コマ。ページを一枚めくっただけで驚きのあまり友人と大暴れし、綾辻行人や乾くるみを読んだ時と同じ感覚を味わった。
私は「えらぶこと」は、その人の人格に直結している、とも思っている。
本を選ぶことも、食べるものを選ぶことも、関わる人を選ぶことも、その人の人と成りが垣間見えてしまうことが多い。
私が今個人的に書いている小説は、「”正義”を選ぶ物語」だと思う。
自分にとっての正義は何か、何が大切かということをテーマにした物語。
同じく文章を書く友人が、「そのキーワード、いいね」とほめてくれたその日から、私はそれだけを信じて書いている。
私が「選ぶ」結末に、私の内側が透けても大丈夫なように、丁寧に選択を重ねていきたい。
〈了〉
p.s 「ごはんより好き」は、ちょっとだけ、言いすぎたかもしれません。ごはんも大好きです。