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「レプリカたちの放課後」



「受験戦争」なんて物騒なネーミング、考えた奴は天才だ。

冬の乾いた教室に立ち込める得体のしれない空気は、どことなく殺伐としていた。音にも声にもならない銃声がそこかしこで鳴っているような気がして、防御するように顔を伏せた。




中学生は大人と形容されることはない。

けれど、「子どもではない」らしい。

うっかりはしゃいでしまえば、「もう子どもじゃないんだから」と窘(たしな)められて、所在ない反論は喉の奥でひりひりとつっかかる。

じゃあ俺らは何なんだ。この時間は、この絶妙な立場は。




「おい、このクラスの日直誰だー。黒板消してないぞ。」


廊下を通りがかった先生が、もうすぐ鳴る予鈴を気にして、扉から生えるように顔を出した。


そういえば日直だったな、と思って気怠さが伝わるように立ち上がる。教室の前まで行って黒板消しに手を伸ばすと、もう一人の日直も同じように隣に立った。長い髪を一つに束ね、前髪はこれでもかとピンで留めてある。校則の厳しさが女子の髪型ひとつからもひしひしと伝わって来る。


「なんか、空気重いよね」

ピンで留めた前髪を見つめる視線に気づいたのか、ちらりとこちらを見てから川村は言った。黒板消しの擦る音でかき消されそうなくらい、その声は小さかった。

「だな」

もちろん理由はお互い分かっているので、あえて言及しない。

大人は中学生をなめすぎだ。「子どもじゃない」と都合よくいいながら、やっぱり子ども扱いする。俺たちには大人が思っている以上に、いろいろなものが見えているし、いろいろなものに気づいている。

―――と、思う。



推薦入試とぶち当たった今日は、ぱらぱらと休むやつがいる。違和感を感じる教室の空席は、普段ならめったに休まないクラスメイト達がふっといなくなったせいもある。

そして、純粋に試験「に行くため」に休んだやつと、試験「の勉強をするため」にさぼったやつがいることを、何となく俺たちは知っている。

昨日の夕飯時に「佐々木君、最近休んでるでしょ」と、母親が訳知り顔で言ってきた時は、何だかいやな気分になった。ほっといてやれよ、とも思ったし、親同士の情報網がそのまま子どもたちに伝わり、「うちらだって学校来るより勉強したいよね」なんて、謎の負の感情がいろいろなところでぼわっと生まれだしていることに、教室中のやつがどことなく気づいていることも、今までの明るい教室に要らぬ感情を持ち込まれたようで、苛立って仕方ない。




「ま、仕方ないよね。みんないっぱいいっぱいだし。」

川村が黒板を消しながら、視線はチョークの跡に向けたまま、諦めたように言った。

「―――それでもなんか、腹立つわ。」

「須藤はいつだって何かイライラしてる顔してるけど」

からかうように川村が笑った。「須藤」の俺が、出席番号順で「川村」の隣になったことは本当に奇跡だ。中三の運勢はすべてそこに持っていかれた気がして、受験は余計に怖い。

川村は他の女子とは少し違う。どこか他の中学生より大人で、俺たちよりもずっといろんなことが、俺たち以上に、見えてしまっているような―――そんなやつだ。


中二で初めて同じクラスになった時は、特に何の感情も抱いていなかった。それなのに、たまたま、放課後の教室で、部活帰りの誰もいないオレンジの中で、二人っきりになったあの日が、俺の中学三年間で何にも負けずにきらきらとしている。

―――――そういえば、あの時の俺も、確かにイライラしていた。


『須藤って、みるといっつもイライラした顔してるよね』

そうやって今と同じように笑っていた。

『中学生ってほんと損だわ。都合よく定義されんのな』

もう何に苛立っていたのかも思い出せないけれど、そうやって毒づいたのは覚えている。

『中学生だっていろんなこと見えてるし、いろんなこと気づいてるっつの』

話し出したら余計に頭にきて、いつもより乱暴にロッカーの扉を閉めた。


『たぶんさ、中学生って―――』


川村は、自分の鞄を整理しながら、こっちを見ずに言った。


『急に周りが見えだす分、急に自分のこと見えなくなるんだよね』


大人はそれをわかってないよねー。そう続けて、肩をすくめるように鞄を担いだ。じゃあね、の言葉もいつのまにか遠のいていて、川村の言葉が頭の中でずっと反芻していた。







黒板を消し終わった川村は、何事もなくいつもつるんでいるグループの輪に帰っていった。親同士の余計な情報交換のせいで、俺はあいつの余計な情報をいろいろ知っている。親が医者だとか、お父さんが厳しいとか、模試の点数が悪いと携帯を没収されるとか、土日はずっと塾にいるとか、テレビはニュースしか見れないとか。

そんなに制限されているのに、現在母親が病気を患っていて、その母親に心配をかけまいと頑張っていることや、周りの大人が自分にかけてくれたお金や、配慮や、様々なものを気にして、頑張っていることや―――もっともこれは、親や川村の取り巻きからの、間接的な情報なのだけれど―――。







まるで、大人のレプリカだ。何とかなぞらえて、けれど、どこまでも模造品。本物の大人のようにはふるまえない。一番損な年頃。誰かの想いや誰かの言葉に敏感で、けれど自分のことはわからないままで。




席につくと、ちょうど試験が終わったらしい友人が遅れて教室に入ってきた。

俺の顔を見つけると、嬉しそうにこちらへ寄って来る。


「お疲れ」

「おう」


余計なことは言わない。別の戦場から帰ってきたばかりの友人は、それで安堵したような顔をした。




チャイムが鳴って、がらりと扉があいた。「席つけー」の声に、レプリカたちがざわざわと従う。教壇に向かう四十名弱の戦友たちは、たぶん、いろんな感情で動いている。



ちらりと目線をやると、川村は静かにシャーペンの先を見つめていた。その横顔がなんだかすごく切なくて、誰かのしあわせのために初めて祈った。




〈了〉






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