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映画「やがて海へと届く」とAnalogfishの「うつくしいほし」

先日「やがて海へと届く」という映画を観た。監督の中川龍太郎氏の舞台挨拶付き先行上映会。

映画上映前に監督へのインタビューが行われた。映画のこと、友人のこと、幼少期の思い出などの話を聞いてあらすじを読むだけでは分からない背景を知ることができ、とても良い体験だった。

映画の中身については、公式サイトのあらすじや予告動画をみてもらう方がいいと思う。アートアニメーションとの融合やネタバレになるから言えないけれどある意外なシーンなど、中川監督の新しい挑戦も注目ポイントだ。

ここでは、映画をみて感じたことを書きたい。

この映画を振り返って思うのは、「喪失と向き合う」のは難しいなってこと。そして、人それぞれに向き合い方や折り合いのつけ方はバラバラだということ。

喪失体験を前に、分かりやすく悲しむことや耳触りの良い前向きな言葉を拒絶したくなる人も存在する。しかしながらそういう人に対して、涙を流しながらドラマや映画で聞いたようなセリフを口にする人は想像よりも多い。そしてそれは往々にして当事者とは呼べない距離のある人達である。

何だかそんなことを思い出してブルーになったりもしたけれど、映画を観終わったときには随分と晴れやかな気持ちだった。

失ったことは事実だけれど、確かにあの子が存在していたこともあの日々があったことも事実だ。だから大丈夫、そう思えた。

もう10年も経つけれど全然立ち直れていないし、未だに夢の中で普通にしゃべって朝起きてもういないことにハッとすることもある。いちいち食らっていたけれど、この映画を観て「まぁ、私はそれでいいか」と思うことができた。

映画とは全然関係のない話だが、最近Analogfishというバンドのライブを観たのだけれどそのときに「うつくしいほし」という曲をやっていた。

遠くから見ればうつくしいほし
遠くから見ればうつくしいまち
遠くから見ればうつくしいうみ
遠くから見ればうつくしいひびのくらし

Analogfish「うつくしいほし」より

この歌詞が頭の中で広がって、先述の映画の中での印象的なセリフと混ざり合って妙に腑に落ちた。

この曲の歌詞の意味とは関係ないのだけれど、私はそれでいいや、仕方ないや。と思えたのだった。誰にも私の本当の気持ちはわからないし、わからなくて当然だ。それと同じで私も誰かの本当の気持ちはわからない。

だから、わかったフリして誰かのつもりになって誰かに押し付けられたものを誰のためにもならないのに、わざわざ背負う必要もないんだと思えた。
多分私のことだからすぐに忘れてしまうけど、今は少し気持ちが楽だ。

死んでしまったあの子や仲違いをして会えなくなった友人も、確かに私の人生に存在している。その事実だけで大丈夫だ。


そして、Analogfishのライブはあまりにも良かった。
ライブ開始前のリハで一曲まるまるやった『抱きしめて』から、心をわしづかみにされた。

そして『うつくしいほし』、『Yakisoba』が特に心に響いた。

なんでもない日常の一コマみたいな歌詞に、救われるような感覚。

ちなみに中川龍太郎監督の「わたしは光をにぎっている」という映画の夕焼けのシーンがあまりにも綺麗で泣けるのだけれど、この曲にも夕焼けという言葉が出てきてうれしい。

好きな映画監督と好きなバンドが増えてうれしい2022年の3月だった。

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