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結局、感謝の矛先となるのは「人」である。

今日はだいぶ死にたい日
はあるのに、
今日はだいぶ生きたい日
はない。

私にとっては(もしかすると多くの人にとっても)、
これが"当たり前”ということ。
生きていられるのは当たり前ということ。
当たり前ではないのに。

そして、生きていることに感謝しようという結論に至る。
よく聞く言葉だ。

生きていることに感謝するのは、簡単なようで難しい、と私は感じる。
つい、感謝よりも負の感情や自分を憐れむ気持ちが生まれてしまう。

でも、私は絶対に幸せな人生を送っているといえる。
あらゆる物や人に感謝するだけの人生を送っている。

毎晩寝る前にその日感謝する出来事を3つ書き出すといった作業は、どうしても習慣化できないタイプだ。

だから、人生において感謝していることを、今ノートに書き出してみた。

いっぱい思いついた。
驚くことに、全部人への感謝だった。
そしてそれは、誰かが与えてくれたきっかけや影響、目に見えない恩であることが多い。
親が習い事をさせてくれたこと、親友が親友でいてくれたこと、先生がある言葉をかけてくれたこと、先輩や先生が指導してくださったこと…。

意外にも、物への感謝は出てこない。
出来事や物を生み出しているのも、結局は人なのだ。

続いて、今日への感謝を3つ挙げた。
ここでは、人に対する感謝ではないものがあった。
感謝することでその日の幸福感は上げてくれるけど、きっとこの感謝はすぐに忘れてしまう。
例えば、今日感謝したことの一つは、鑑賞し終えた韓国ドラマが面白くて私のお気に入りになったことだ。

もし今日のその出来事が今後自分に大きな影響を与えたとしたら、それを何十年後かに語る時には、広い目で見て、人への感謝に変わっていると思う。

「あの時、あのドラマに出会えてなかったら〜、」などと言って、
ドラマを企画してくれた人、撮影編集してくれた人、演じてくれた人、作品と出会うきっかけを与えてくれた人、配信サービスを提供してくれた人…そんな人々に感謝すると思う。

ずーっと覚えていること、自分に深い影響を与えるものは、すべて誰かのおかげ。
だから、何年後、何十年後に感謝する対象は、人なんだ。

そう思った。
(私もそう思われる人になれたらいいな。)

怒りの矛先も、感謝の矛先も、人なのだ。



人への感謝って心に留めておいたらもったいないよね。
行動で返す場合もあるだろうけど、きちんと言葉にして伝えないと、一生伝わらないかもしれない。

「感謝はきちんと言葉にして伝えましょう」
これもよく聞く言葉だけど、恥ずかしくてちょっと難しく感じてしまう、これが私のリアルだ。
咄嗟の小さな「ありがとう」は言えるのだけど、改めてわざわざ小さな「ありがとう」を伝えることが難しい。
これが日常的に沢山できる人は素敵だと思う。今のアルバイト先にはそんな人が沢山いるからすごすぎる。

結構勇気がいるんだけど、今日帰ったら親には何か伝えられたらいいなと思ったり。もし今日言えなかったら、もうすぐやってくる母の誕生日にでも言おうかなと思ったり。
これが日常的にできるようになったら、周りも自分も幸福感が増しそうだよね。

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