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いむれの紹介

noteをはじめて2年以上経つのですが、そういえばちゃんとした自己紹介をまだ書いていなかったと気づき。
せっかくなのであらためて自己紹介をしたいと思います。

「いむれ」といいます。

‘98年生まれの娘(25歳)、‘00生まれの息子(23歳)のアラフィフ母で、エッセイストになるのが夢です。

楽しいこと大好き、お酒も大好き、おしゃべり好きですが、メンタルが弱め。 いわゆる「豆腐メンタル」ママです。  
メンタルに加え、かつて“がん”を患っていた“がんサバイバー”でもあるので身体も虚弱。

そんな身体も心も「お豆腐」なわたしの経験を、𝕏(旧:Twitter)で発信しているうちに「がんばりましたね」「共感しました」「子育ての大先輩!参考になりました」などとあったかいコメントをいただくようになりました。
 
こんなわたしでもだれかのお役に立てるのか……とビックリ。
それなら、140文字を超えてもっとしっかり発信していきたいなーとずっと考えていました。
 
そうこうしているうちに、娘が今年の春に就職、来年の春には息子も就職することが決まりました。
 
子育てが一区切りつくこのタイミングで、今度は自分の好きなことをしてみたい!と思い立ち、これまであまり更新できていなかったnoteで「エッセイを発信していこう」と一歩踏み出すことに。
 
まずは自己紹介がわりに、わたしの波瀾万丈(?)な半生を綴ってみようと思います。
豆腐メンタルで自信が持てない人のお役に立てば嬉しいです。

幼少期〜思春期にみる豆腐メンタルの萌芽

わたしは母の実家でサザエさん一家と同じような環境で幼少期を過ごしました。
お店をしていたので、家族もお客さんも接する人は大人ばかり。さらに、何でも好きなものが食べられる環境でわがままに過ごしました。

小学校入学と同時に引っ越しし、父と母、妹とわたしの4人暮らしになりました。
消極的で運動音痴なわたしは、リカちゃん人形やジェニーちゃん人形で着せ替えをして遊んでいるのが好きでした。
 

中学生になると、漠然とした違和感を持つようになりました。
仲良しの友達もいてそれなりに楽しかったし、勉強を頑張れば成績がよくなって満足するけれど、“結局こんな田舎じゃ何も変わらない“と思い続ける毎日を送っていたのです。

恋愛もそれなりにしました。数人とお付き合いをして青春していたけれど、“終わりがある”といつもどこか冷めていたのです。
 
高校も地元の学校へ進学し、大学受験は都内の大学を志望していたけれど不合格。
「県内の大学なら合格するから受験しよう!」と担任に説得されたけれど、どうしても東京へ行きたくて専門学校に決めました。
 
東京には何度も遊びに行っていたけれど、通学するとなると全然違います。
朝早い電車でもルンルンで、毎日楽しくてすべてがキラキラしていました。

気持ちがポジティブになると成績も比例しトップクラスでしたが、その分たくさん遊びました。
 

転勤、子育てを経てはっきり自覚した豆腐メンタル

東京にも学校にも慣れた2年目からはひとり暮らしをして、さらに自由に東京生活を満喫していました。
 
しかし、ひとり暮らしをして半年ほど経ったある日、体調不良で不正出血や貧血などの症状があり、学校にも行けなくなりました。

病院を受診してもなかなか病名がわからず、半年後……。
“がん“と宣告されたのです。

そのときは自分が病気だと、それも“がん”だとピンとこなかったのですが、母がとても悲しそうな顔をしていたので心配させて申し訳ないと思っていました。
 
宣告後は、今後どうしたらいいのか途方に暮れていました。
子どもを授かる可能性が低いと言われたため、結婚はしない方がいいと思っていましたが、当時付き合っていた彼(いまの夫)がそばにいて支えてくれたのです。
 
結婚して3か月後、奇跡的に新しい命を授かりました。
妊娠がわかったとき心臓の音が聞こえず、流産する可能性が高い、と言われていましたが、無事まるまるとした女の子を出産しました。
 
出産後は体力がなく、子育てするだけで精一杯の毎日。
子育てしていくうちに、少しずつ自分の性格がわかって、“ここから抜け出したい”と思うこともしばしばありました。

わたしは22歳で母になったので、“若いママ”という視線を感じていました。そう感じていたのはわたしだけかもしれませんが、“奇跡的に授かったのだから、しっかり育てなければいけない”という“責任”がいつの間にか“重圧”になっていたのでしょう。

相手はアドバイスのつもりだったのでしょうが、わたしは子育てを注意されていると感じるようになったのです。
 
それだけでなく、転勤族で知らない土地の生活も影響していました。
知らず知らずのうちに消極的でネガティブな性格になり、人見知りもエスカレートして豆腐メンタルな自分に気付いたのです。
 
うちの子どもは保育園3回、小学校3回の合計6回転校しました。
その度、子どもが友達と馴染めるか、いじめられないかとても心配でした。やっと慣れてきてホッとしていたら、わずか1年半での引っ越しもあったからです。
 
そんな暮らしが20年弱続き、子どもたちが大学生と高校生になった頃、わたしは大手企業で派遣社員として働いていました。

あるとき、別の派遣社員のミスで裁判沙汰になるほどの大問題になってしまい、決してミスができないプレッシャーの毎日が続きました。いくつもMTGがセッティングされ、訳のわからない打合せばかり。
 
それと同時に息子の大学受験も控えていました。

息子は中高と受験したもののサクラ咲かず、大学受験こそは……とがんばっていましたし、わたしも合格を願っていました。
それに加えて、教育熱心な義父からのプレッシャーがハンパなかったのです。

義兄は某有名私立中高⇒東大⇒弁護士(夫は違うww)という経歴なので、孫にも東大に入って欲しいと思っていたらしいのです。
 
東大が不合格だった時は、実の息子の夫ではなく、わたしをものすごい剣幕で罵倒してきました。

そのことが原因でめまいや吐き気、頭痛がはじまり、メンタルが落ちてしまいました。
しまいには起き上がれず、仕事も辞めてしまったのです。
 
それだけでなく、義父との一件があってから夫との仲も悪くなっていきました。
義父のことを“ほっとけばいい”という夫に対し、わたしは“謝って欲しい”気持ちがあり、納得できず離婚まで考えたほどです。

豆腐メンタルを抱えつつも模索したライフワーク

少しずつ体調が回復してきたころ、娘から「在宅での仕事にこだわってみたら?」といわれました。
わたしも考えなかったわけじゃないけど、在宅ワークでは微々たる収入しかもらえないと思っていたので口には出さなかったのです。

しかし、ちょうどコロナ禍でリモートワークが増えていた時期だったので前向きに考えるようになりました。
 
資格やスキルはとくにないので、在宅ワークをする上で強みになるスキルを身につけたいと思っていました。

しばらくすると、ストアカ(ストリートアカデミー)でライティングスクールをみつけ受講。
わたしは講師の先生の魅力にハマってしまい、“もっと教えてもらいたい”と思い、ライティングカレッジ(ライカレ、現:ものキャン)に入学したのです。
 
けれども、初回の講座から体調不良でアーカイブ受講。

それに加え、同期がメチャクチャ優秀な人ばかりで場違いだと恐縮していました。それでもあきらめず、自分なりに課題を進めていくうちに3か月が過ぎ、なんとか卒業までこぎつけたのです。

卒業式では先生の温情でMVPまでいただき、感動して号泣してしまいました。
卒業と同時に電子書籍を出版しAmazonKindle10部門1位、ベストセラーを獲得しました。
 
その後、SEOライターや企業研修ライターなどの案件を受け、ライティング業務で念願の在宅ワークで収入を得られたのです。

それと同時に、知り合いの方からオンライン秘書の依頼を受け、続けるうちに業務の幅が増えていき、安定収入を得られるようになりました。

これからの挑戦

オンライン秘書で安定収入が得られるようになり、体力に自信がなくても在宅ワークなら収入が得られると自信がもてました。
けれども、心がざわついて仕方がないのです。

しばらくの間、その“ざわつき”が何なのかわからなかったのですが、「いまわたしは何をしたいのだろう」と考えてみると、自分のしたいことが見えてきました。

これからは自分の好きなことをしていきたい!と思い、いったんお仕事はお休みすることに。noteでエッセイを発信していこうと決めました。

もしダメでもいいじゃない。
やってダメなら、また在宅ワークの仕事を探せばいい。やらないより、やった方が絶対にいい!そう思っています。
 
今後はわたしの経験を元に、メンタルが「お豆腐」な人でもムリしなくても毎日楽しく暮らせるようなエッセイを書いていきたいと思います。
 

いむれ


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いむれ
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