
世界で最も危険な都市:サンペドロスーラ
※これは、2005〜2007年ホンジュラスに滞在した時の記録です。
町の治安
ホンジュラスへ行くと決まったとき、今度は以前に派遣されたパプアニューギニアのように携帯無線を腰に、びくびく過ごさなくてもすむと思った。陽気なラテンアメリカ人達との2年間を想像するだけで心は弾んだ。
しかし、ここに住み始めて、初めて知ったのはこの国が犯罪大国であるということだった。それも銃による犯罪である。誰もが銃を持ち、簡単に引き金を引き、多くの人命が奪われる。町の銀行も大きな商店も、入口には必ず銃を持った警備の男が立っている。
日常茶飯事の銃殺人
着任したころ、新聞はテグシガルパ刑務所の中で起きた「囚人13名の殺人事件」を報じていた。刑務所の中で囚人の殺人があるとはどういうことか。頭をひねった。どうやら刑務所の中では無法が堂々とまかり通る国らしいのである。
JICA事務所は、サンペドロスーラのボランティアに対し、移動は全てタクシーを使いバス利用は禁止するという指示を出す。しかしタクシーで60L(360円)の所がバスではたったの6L(36円)である。10倍の違いがある。
博物館の前を走る35番の市バスはチャメレコン地区からやって来る。チャメレコンは治安の悪さで有名らしい。「Shigeo. あそこへ行っちゃだめだよ」とみんなが言う。しかし市の中心セントロへ出かけるときは、みんな一緒にこの35番バスに乗らなければならない。仕事仲間と別に自分だけ一人でタクシーというわけに行かない。セントロはスペイン人入植時の町の中心地である。広場を隔てて市役所と教会が向きあわせで建っている。広場を囲むビルや商店が並び、昼間のマーケットは、ここに集まる大勢の人達で活気を帯びている。「アメリカーナ」という、冷房が利く、広場を往き来する人の動きがよく見えるカフェがある。ここへはよく入ったものだ。夜のセントロは一変する。人の気配のなくなった通りは不気味に静まり、車で深夜ここを通過するときは、何かあればどうしようと緊張するのだった。
バスが襲われる
テグシガルパで会議のあるとき、いつも利用するエドマンアラス社のバスが、2か月間で5回も襲われた。犯人たちは乗客役と待ち伏せ役に分かれ、携帯電話をやり取りして、しかるべき場所に来たバスを止め、乗客全員の身ぐるみをはがす。履いている靴まで一切が持って行かれるのである。
市内を走るバスの中で白昼バスジャックがあった。銃で脅された運転手はバスを停めず走りつづける。その間にもう一人の犯人は乗客一人一人の持ち物を奪う。仕事を終えた二人はバスを停めて逃走する。という筋書きが、この時は乗客の一人が犯人に発砲したのである。乗客も銃を持っているのは不思議ではない。乗客と犯人との撃ちあいが始まり、犯人は逃げたが、流れ弾にあたった2名の乗客が死んだ。座席に寄りかかるようにして死んでいるジーパン姿の女子学生の写真が新聞に載っていた。
「世界で最も危険な都市」第一位
朝食のときはいつもTVニュースの時間である。殺人事件は毎日のようにあり、地面に転がる死体は黄色いビニールシートに包まれ、小型トラックに積み込まれる。いつも似たような映像であるが、時には上空を舞う黒い鳥とか、人質を連れて逃走中の犯人たちとか、鉄格子越しの犯人とのインタビューなどもある。慣れっこになると、黄色のシートが映らない日は「今日は殺人なかったの?」ともの足りなく思ってしまう。しかしこれは不謹慎である。
JICA事務所がくれる「月例報告」によると、サンペドロスーラでは毎月平均約45件の殺人がある。12倍すると年間540件。この数は、派遣期間中(2005-2007)増え続け、国連調査では2010年までの5年間で2倍に増加したという。サンペドロスーラの人口は71万人、大阪の堺よりは少し小さいがそれにしてもこの殺人数である。 その後、殺人は2011年に1143件と増加し、2013年度サンペドロスーラは「世界で最も危険な都市」第一位に輝いた。2014年度も1319件。連続世界第一位の座を守っている。サンペドロスーラは今や、南米から北米への麻薬経由の中心地である。マラスと呼ばれる青少年の凶悪犯罪組織も活発に動いている。刑務所は常に満員御礼にして治外法権。収監した囚人たちは、中で勝手気ままにふるまっているという。
最大の原因は厳しい貧困である。町を歩けば、飲食店の前には物乞いする裸の男。ゴミ箱をあさる老人。もの食う人の前に立ち、刺すような眼付きで食い物を見る男。町を取りか組むように、丘の上に並ぶ貧しい人たちの住居。その一方、この町に身代金200万ドルを要求される富裕層も住んでいる。
グアラグアオの歌

ベネズエラのJosé Guerraホセ・ゲラのグループGuaraguaoグアラグアオのコンサートへ行って来た。夕方に始まる野外コンサートは、ファンや人権団体、反政府系のメンバーの参加も多く、夜遅くまで熱狂する聴衆に向かって彼らは歌い続けた。
“ Que triste se olle la lluvia 何て悲しいんだ
En los techos de cartón 段ボールの屋根を打つ雨の音
Que triste vive mi gente 何て悲しいんだ
En las casas de cartón” 段ボールの家に住む私の人たち
( Casa de Carton 段ボールの家 )
中南米は多くの国に分かれているが、同じスペイン語圏(ブラジルはポルトガル語だが)であり、盛んな往き来と歴史や文化に見られる共通点から、ラテンアメリカ人としての連帯感が、東アジアの我々よりも強く感じられる。
アパートの安全対策
アパートの家主は自宅の警備に守衛を置くようになった。向かいの大きな屋敷に住んでいた家族が引っ越して空き家となり、治安の良かったオルキディアブランカ通りも、最近は不穏な空気が漂うようだ。
JICA事務所から治安対策担当の現地職員がアパートへやって来た。部屋へ入ると、二重鍵や窓の様子など細かく点検している。「被害にあわないため、普段何か心がけているか?」と聞かれる。「ホンジュラス人の友達を持つこと。彼らの判断が一番大切だと思う」と答える。「perfecto よろしい」と言われる。
チャメレコン地区
帰国前に例のチャメレコン地区(「あそこへ行っちゃだめだよ」とみんなが言っていた地区)を見物に行くことにした。教育大学のカウンターパート、べルタの夫マリオが運転する車である。
「なぜチャメレコンへ行きたいのか」マリオに聞かれる。
「サンペドロスーラについて何もかも知りたいから」
車体にRuta 35と書いた黄色いバスが何台もすれちがう。博物館の前を通る、あのセントロへ行くバスだ。みすぼらしいトタン屋根の木造り家屋が並ぶ。水たまりの出来た通りに、ほとんど人の気配はない。昼間のチャメレコンは静かである。歩いて行くと大きな河原に出た。雨のときは氾濫するだろう。ゴミの散らばる広い河原で一頭の馬が草を食んでいた。青空を背景に無数のカラスが塵のように舞っている。9万人の人たちがここに住んでいる。

アメリカって何だ
ホンジュラスの通貨単位はL(レンピーラ)である。レンピーラは先住民レンカの族長の名前でもある。彼は1502年コロンブスの上陸に始まるスペイン人侵略に激しく抵抗し、最後はセラケ山で殺されたという。1レンピーラ紙幣に、長髪をバンドで留めた彼の横顔が描かれている。先住民たちは、銃と武器を持つスペイン人の殺戮やヨーロッパから持ち込まれた病気に勝つことは出来なかった。現在ホンジュラス人の9割はスペイン人と先住民との混血、1割が先住民およびアフリカ系である。長大な歴史を持つ先住民文化とヨーロッパ文化が接触して600年。その二つは衝突し互いに質を変えて現在のアメリカ文化が生まれたと言えるだろう。
日本人が「アメリカ」と言うときは、「アメリカ合衆国」のことを指す事が多い。しかし一般に「アメリカ」は、南北アメリカ全体を指している。「アメリカ」と「アメリカ合衆国」とは区別されなければならない。
北アメリカ先住民
エドワード・S・カーティス(1868-1952)という写真家の作品展を見た。カーティスは北アメリカ先住民が自然と神と共に生きた時代を記録している。被写体の人たちは、穏やかで慧知に満ちた表情を浮かべ、厳しい自然の中で、誇りに満ちた人生を過ごしていたように見える。北極圏から大陸南端のホーン岬に至るまで、アメリカ先住民たちは、白人による「アメリカ発見」以前の大陸で数千年を生きた人たちである。
サンペドロスーラ人類学歴史博物館はおもしろい。玄関入口は建物の2階にある。展示はまず先住民文化から始まる。グアテマラ国境近くのコパン遺跡はマヤ文明の世界遺産だが、「Valle de Sula 小鳥たちの谷」と呼ばれていた、ここサンペドロスーラ周辺にも、古代から先住民の豊かな生活があった。展示品は石像や主食トルティーヤを作る石器、歯にヒスイ細工をした頭骨、あめ色を基調にした人物や動物、植物、紋様を描いた容器である。
2階の展示が終わり、1階へと向かう階段を降りて行く。1階に着く途端、空気は一変してそれまでの平和な世界は截ち切られる。壁に一枚の大きな絵を見る。ヨーロッパの身なりをしたスペイン人たちが十字架を先頭に掲げ、銃と剣とを手にして、征服した新天地を歩んでいる。その前には裸にふんどし姿の先住民が腰をかがめ弓矢を手にしている。ホンジュラスの歴史はがらりと変わる。宗教・生活・風習・産業あらゆる面でスペインが先住民を呑みこんで行く。2階の世界は、過ぎし日の夢である。階段を使ったこのうまい演出に、目からうろこが落ちる。昔、高校時代の世界史の時間、「アメリカ発見、石の国(1492年)」などと唱えていたとき、一体あのとき何を学んだのだろう。

「殺人件数、世界のワースト50都市」というインターネットのページを開くと、10位以内に、ホンジュラスのテグシガルパとサンペドロスーラが入っている。50都市中にアメリカから45の都市が入っていることに驚く。全体の9割である。アメリカ合衆国の都市からも入っている。「自由と民主主義の国」は今も自分たちの銃規制が出来ない。アメリカ大陸の北から南まで、銃を手にして先住民を追い散らした白人たちの過去のDNAは今も引き継がれているのだろうか。
ノーベル文学賞を受賞した作家パール・バックは小説『大地』(1931年)でアメリカを次のように描いている。「この国の大地は新しく、人間の骨が埋まっていない。そのために人間のものになっていない。・・・・大地はそれを所有しようと必死になっている人間よりも強く、人間達も・・・・精神にも外貌にも往々にして野蛮なものをとどめている」