「旅立つ」という言葉に救われた話
今から半年ほど前の2021年10月1日の夜に、齢60歳で父親が天国町へ行きました。
中年男性が通る道、中年太り、ビール腹かと思っていたら、肝臓がカンカンに腫れていて、速攻病院へ紹介状。そしてステージ4と判ったのが昨年5月半ばのこと。「田植えが終わったら医者に行くよ」と、なんてことないフリして、体調不良を押し切っていたそうです。一時は薬でよくなり、散歩したり農作業をしていたものの、9月29日くらいから急激に弱り、30日深夜に救急搬送でした。当時横浜に住んでいた自分は、5月に母親からの「ガン」という文字を見て、落ち着きを取り繕いつつも動揺が漏れる兄からの電話を受けて、すぐに退職を決めました。28歳の誕生日を数日後に控え、少々浮かれ気味だった気分がガタガタと崩れたのを今でも鮮明に覚えています。
父が春に田植えをやりきったあと、夏〜秋と水の管理や肥料などを兄、母、俺でまかり、言葉通り家族全員での米作り。奇しくも、というか、作家がついているとでも言うのか。10月1日は、米作りの作業がまるっと終わった日でした。昼に病院に行き、「さっき(早朝に)終わったよ」と病床の父に言うと、うなずき、つーっと涙を流していました。初めて見た涙でした。全てが無事に終わるのを待っていてくれたのかもしれません。深夜、病院からの電話を受けてすぐに向かったものの、数分前に息を引き取ったと告げられました。「苦しむ様子はなく安らかに、息を引き取りました」と告げられました。
ああ、苦しまずに旅立てたんだ。
実際に苦しんでいなかったのかはわかりませんが、その言葉に少し救われた気分でした。病院に運ばれる数日前から、すごく辛そうで、数歩先のトイレも、肩を抱かないと歩けず、ベッドまでなんとか連れて行っても、体勢を変えるだけで息はゼーゼーと。病気になる前から負担しかかけてこなかった息子が言えることではありませんが、「きつい」とか「大変」とは全く言わず、誰かに負担をかけることを嫌い、黙々と一人で背負う人でした。
ここ数年、山登りを楽しんでいたようで、もし病気になっていなかったら、例年どおり米作業が終わってから秋の山をあちこち登っていただろうな、とやりきれない気持ちになりました。
ニュースでも、市井の会話でも、「亡くなった」「死んだ」ということを耳にします。父の法要でご住職は「人は必ず死ぬ。そんなことはみんなわかっています。でもいざ身内、近親者が亡くなると、信じたくないと思う。悲しむ。本当は全然わかっていないんです。」と説いてくれました。その通りでした。日常耳にしていた「死亡」を、父に当てはめることがとても嫌でした。父がこれまで生きてきたことがゼロになる気分でした。
それ以来、「父は旅立った」と言うことにしました。
そういうことで救われたと感じるのは、父ではなく、自分なのですが、「旅立った」と言うことで、もしかしたら父はどこかで旅を楽しんでいるのではないか、と感じるようになってきました。確かに亡骸も見たし、棺が閉じられて火葬され、骨も拾いました。でも、仏壇で父の遺影を見るたびに、「そうか」と父がいないことを再認識するほど、まだどこか遠いところで生きている感覚を覚えます。
もうたくさんというほど、大変な思いをさせてきてしまったので、誰にも遠慮することなく、楽しんでいて欲しいのです。好きなだけ晩酌をして、山登りを楽しみ、いろんなところに旅行に行って、最高の景色を眺めていてほしい。
父はメモ魔で、毎年同じ手帳を使い、その日の予定だけでなく、その日あったことも日記のように記していました。入院していたある日の記録には「久々のシャワー!気持ちいい〜!!」と書かれていました。父はもっと浴びたかった、けど浴びれなかった幸せなのだと強く思い、その記録を読んで以来、風呂は自分にとっての何よりの幸せです。それと同時に、温泉施設に行くたびに「親父にも味わってほしかったな」という思いが込み上げます。
帰省を決めてすぐ、去年の5月に転職用の証明写真を父にLINEで送りました。5月28日のところには「樹から証明写真が送られてきた。俺に似てきた!?笑」と書いてありました。
すぐにきついとか言うし、決意がすぐに揺らぐところはまったく受け継げていないけれど、顔つきや歩き方など似ているところもあるなあと、最近ようやく感じてきました。
どこかで旅をしているような気もするし、自分の中にいる気もしています。
ご住職の言葉通り、人は死ぬとわかっていても、身内となると受け入れがたいです。でも、心持ち次第では、観念的ですが亡くなった人の人生は決してゼロにはならないです。また、不思議なもので、近くにいると感じることもあります。仏壇で手を合わせて、遺影を眺めていると、心で会話ができている気がします。こうして人は先祖から後世へと、意志をつないできたんだなと思っています。
「旅立つ」という言葉は、この半年間がそうであったようにこれからも、父がそばにいる感覚をあたえてくれると思います。
今、お父さんが乗っていた車をそのまま引き継いで乗っています。90キロ近く出すとやばい音がします。もうちょっといい車に乗っててくれたらよかったのに。相変わらずわがままでめんどくさい息子です、すいません。