折に触れて(斎藤道三の父)
ヤドカリを見ていると斎藤道三父子の姿を見ているような気がする。自分の形や大きさの変化に応じて、その都度現状に見合った貝殻を捜してはそれに乗換える。美濃に入る前でさえ幼名峰丸、妙覚寺では法蓮房、油商人では松波庄九郎と名前を変え、その時々の必要に応じて姿形を変えている。織田弾正忠家にはあっさり引越しをするという習性があったが、斎藤道三父子にも名前や形態には無頓着という習性がある。こういったプラグマテイックな考え方がなければ戦国大名として生き残れないのだろう。因習と迷信に縛られた中