唯ぼんやりした不安

ああ

これからの人生どうすればいいのだろうか?自分は何になりたいのか?Noteをはじめた根本的な理由でもあるこの「唯ぼんやりとした不安」について、今なら気持ちを残せそうなので取り急ぎメモ書き

今回の不安の発生原因

珍しくアクティブな平日を送ったことによる退屈とのギャップ。躁状態特有の何かをしたいような気持によるものと考えられる。また、同年代の人々が順調に人生のステップを上ろうとしていることによる焦りもある。特に、恋愛的な発展については苦手意識や実績・経験がないというハンディキャップ(?)が拍車をかけている。

将来

最近思っているのは、自分にはこの先を生きていく覚悟が出来ていない、ということだ。僕が今何事にも強い関心を持たずに生きていられるのは、最悪自殺すれば人生が終わってくれるという考えの下にある。人が生きていることに意味などない、ただの自然現象である。そんなことは関係なく、自分がしたいことをして生きることにしようとは思うのだが、中々強いエネルギー状態を保つことが出来ない。

思いつく二つの道

皆が描く楽しそうな人生、というものが僕の中にある。仕事・家庭・趣味の比重をどう置くかは個人によるが、取り敢えず結婚して家庭を持ち、安定した職業で働き、残された時間に楽しみを持つ。これがどうやら王道パターン。しかし、正直僕にはすべてが理解できない。仕事に関しては、安定や高収入を求める人が多いが、その目的がよくわからない。仕事はやりがいと面白さに全振りで選んでいる、という方が断然納得できる。(ほとんど見たことはないが。。。)僕はお金があまり好きでなく、仕事へのモチベーションをお金で担保することが出来ない。家庭に関しても、まだ恋人すらできたことがないのでよくわからないが、結婚して子供もできてから、そこに生きがいを見いだせなかったらどうするのだろう?子供を見放して自殺するわけにはいかない。そこまで人生のコマが進んでしまったら、いや進む前にその先2,30年は生きていく覚悟をしなければならないだろう。趣味に関しても、飽きたら死ねばいいので生きる目的にはならないだろう。
では、もう一つの道はというと、安定も家庭も投げ捨ててやりたいことをすべてやって飽きたら死ぬ、という我ながら子供じみた、無鉄砲なプランである。しかし、この道の大前提にやりたいことがあって尚且つそれをやり遂げるモチベーションをキープできるという条件がある。いつもここまで考えて、結局自分は何がしたいんだ?という疑問に戻り、思考がループする訳だ。

今年中の目標

一番避けなければならない事態は、こんなことばかり考えて何も行動できずに孤独なままで時間だけが過ぎてしまうこと。それが僕が一番恐れている退屈な人生。流されて結婚して子供出来て、みたいなのもできれば避けたい。取り敢えずこの先10年間楽しく生きられるように、思いつく限りひと通りは挑戦してみようと思う。ただ、今年の頭に体調を崩した反省から、ひとつづつやろうと思う。

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