教養は大切か
教養って何なのかよく分かりませんよね。世間では「サクッとわかるビジネス教養」とかが流行っています。また、それに対して「教養はそんなものじゃない」とツイッターで文句を言うのも流行っています。
私たちにとって教養は大切なのでしょうか。これについては、「私たちは知的に豊かであるべきか」という問いに代えることができると思います。
教養は具体的な知識の総体を指すのではなく、知的な豊かさを指すものであると私は考えます。
教養が役に立つかどうかという議論は、教養が知識の体系にすぎないと考えるから生まれるものです。これについては、ある分野の知識の体系はその分野で役に立つのは当然だし、他の類似する分野でも役に立つのかは分野にもよるので、不毛な議論です。
私は、豊かさとは「安定して客観的に納得できる様々な種類の幸せを呼び出すことができること」だと考えました。この前提から、知的豊かさ(=教養)は、「安定して客観的に納得できる様々な種類の幸せを呼び出すことを可能にする知的な特質」だといえます。
幸せにはさまざまな種類があると思います。家族との団欒とか、スポーツの楽しさとか、芸術作品を見た時の感動とか、美味しい物を食べた時とか。これらの例は一般的に認められている幸せだと思います。他にも個人的な幸せはそれぞれの人にあると思います。個人的な幸せでも、人に伝えて共感されることはあると思います。
幸せだとしても、それが不安定なら豊かとはいえないでしょう。また、誰にも理解や共感をされない幸せは、一般的な豊かさには含められないと思います。そのうえ、一つの幸せしか感じられないなら、それは豊かではないと思います。
もし私たち一人ひとりが豊かに生きていくべきなのであれば、もちろん可能なら知的にも豊かであるべきでしょう。しかし、知的に豊かでなくても肉体的にとか、経済的にとか、物質的な豊かさもあります。私たちは、知的なだけでなく物質的にも生きていて、物質的に豊かであればそれで充分だとも言えると思います。
そもそも豊かであるべきかどうかについても考えなければなりませんが、常識的に考えれば、なるべく豊かであるのがよいとされていると思います。
以上から、結論として、教養はあった方がいいと考えました。
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