「もう、もう、イヤダーーーッ」と叫んだ日
実家の3人が広島に引っ越してしまってから、
母とモモちゃんがうちに引っ越してくるまでの
約15年間は、
私にとって、
薄ぐら~い闇の日々だった。
子育てをしながら仕事をするのも、
すごくキツかったし、
その間をぬって、
広島にいる3人の様子をみにいく必要もあった。
子どもたちのおばあちゃんとして、
活躍してくれていたハルコさんは、
子育てサポートのポジションから、
介護される側へと変貌していった。
2011年、
私はパソコンにかじりつき、
資料を片手にワードと格闘していた。
資料の下には子どもたちの学校のプリントが山積み。
椅子の足元も資料やプリントの山で、
紙の山を踏まないと、
ワークスペースから出ていけないほどだった。
何の前触れもなく、
私はたったひとりの部屋で、
いきなりワニ目になった。
「もーーーーいやだ。
もーーー、やってられない。
イヤったらイヤだ、イヤ!」
手近な本や資料を床に投げつけて、
私はしばらく怒っていた。
怒るといっても、
何に怒っているのかわからない。
もう、何もかもがイヤだった。
でも、引き金はあったと思う。
たぶんそれは、
ハルコさんの介護が始まった途端、
まわりから言われるようになった、
「お嫁さん」という呼び名だった。
結婚して、
家族くんの両親と同居しはじめてしばらく、
私は一時、
自分で自分のことを
「この家のヨメだから」と言うことがあった。
でも、仕事では旧姓だし、
子どもたちの先生からは「おかあさん」と呼ばれる。
家族くんが私のことを
「ヨメ」と紹介する機会もほぼ、ない。
私は自分がツマだとかオクサンだとか
ヨメだという意識をほぼ失っていた。
それがハルコさんの介護がスタートして
「お嫁さん」と呼ばれた、その途端、
「この家に嫁いできているからには、
この家のことはみんなあなたがするんですよね」
と、
いっせいに言われ始めたように思えた。
その途端、
何もかもがイヤになってしまった。
その少し前に、
私は大きな会社に勤めている女の人から、
こんな話を聞いていた。
女の人「私…苗字が変わるんですよ」
私「あ、確かご結婚された、んでしたね?」
女の人「はい、結婚したんですけど、
仕事上の名前を変えたくなくて…
名刺も変わってしまいますし…
旧姓で仕事ができないか、
会社と交渉したんですけど、ダメだったんです」
私「そうですか…」
女の人「確か、旧姓でお仕事されているんですよね」
私「あ、そうです、私、
フリーランスだったときに結婚したんで」
女の人「ちょっと、うらやましいなあ」
私は複雑な気持ちになった。
彼女が勤務していたのは、
誰でもが知っているほどの大企業だ。
でも、
大きな企業だからこそ、
会社の仕組みを変えるのには、
ものすごくエネルギーがいるんだろう。
その人は大きな企業の、
かなり重要なポジションに勤務していた。
それもあって、
会社との交渉にも踏み切ったのかもしれない。
それでも、
それでも会社からは「ノー」の返事だった。
若く美しくお洒落な彼女の顔には、
苦痛と疲労の色が見え隠れしていた。
彼女も私も、
いったい何に追い詰められているんだろう。
私たちを「追い詰めている何か」は、
私たちを追い詰めて、
何かメリットがあるんだろうか。
私は床に散乱したものを
片付ける気にもならず、
ぼんやりと突っ立ったまま、低くつぶやいた。
「ライブ、行こう。
もう、やってらんない」
こういうのを「キレる」というのかな?
「行こう」といっても、
そのころの私は完全な浦島太郎だった。
どこでライブがあって、
どうやったらチケットが手に入るかすらわからない。
でも「じぶん」に戻りたかった。
音が鳴る中に入ったら、
「じぶん」が見つかるような気がした。
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