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消えたコロッケ

昔からうちの庭にあるという
大きな大きな柿の木が、
今年もたくさんの実をつけた。

実はこの柿の木は、もっともっと大きかった。
一番多い年で、
400個くらい実をつけていたんだけど、
そのぶん、
熟れた実がボトボトと地面に落ちて、
見苦しいだけでなく、歩くとすべって危ない。
実をとろうとしても、
高いところにたくさん成るため届かない。

私たちは仕方なく、
「木に負担のない範囲で」とお願いして、
上のほうの幹をばっさりと切ってもらったのだった。

下のほうに成った実は、
子どもたちが通っていた保育園に連絡して、
園児さんたちに収穫してもらっている。
下のほうにも枝が多いので、
園児さんたちにも手が届く。

収穫といっても販売用ではないため、
実をふたつに割ると、タネだらけ~。
食べられるところは、かなり少ない。
それでも食べてもらえているらしい。

保育園の先生の手も届かない、
高い高い枝の実には、
鳥たちがたくさんやってくる。
メジロ、ムクドリ、カラス。

今年はとくに多くて、
メジロの鳴き声がとても可愛い。
カラスの大騒ぎにはしんどくなるため、
高枝バサミをかついで庭に出る。
年に数日なので、
柿の収穫はなかなか上手にならない。

モモちゃんとの暮らしは、
落ち着いている日もあれば、
「どうなってるの」と驚く日もある。

モモちゃんは晩ごはんをたっぷり食べたあと、
お腹はすいていないはずだけど、
大好物のコロッケを欲しがる。
お菓子以外は制限していないので、
「食べたい」と言えば「いいよ」と言っている。

ただ…晩ごはんの後というのは、
私が一番ぐったりしている時間。
エネルギーが残っておらず、
モモちゃんが「コロッケ」と言っても、
「自分でできるよね、自分でしてね」と、
放ったらかしになる。

モモちゃんが、
自分でできることを減らさないため…
という大義名分も一応あるんだけど、
それよりも「しんどいから」というのが大きい。

モモちゃんが「コロッケ、どこ」と尋ねるので、
「いつものとこにない?」と返事をした。
冷蔵庫のいつものとこにないらしかったので、
「ここに置くから自分でお皿にのせて」と言って、
スーパーのパックに入ったままのコロッケを出しておいた。

レンジのスイッチをオンする音がしたので、
私は「なんとかなったらしい」と、
キッチンの片付けを続けていた。

しばらくするとレンジの音が鳴って、
モモちゃんがレンジの扉をあけた。

「熱いわ…」

私は振り返りもせず
「もう少し待ってから取りにきたら」と言った。

少し経ってモモちゃんがまたレンジに来た。
扉をあけてお皿を出そうとして、また言った。

「熱いわ…」

私はイラッとした。
もしかして、私に「出して持っていってほしい」
と言いたいのかな。
レンジでコロッケを温めると、
お皿も熱くなってしまうことがあるけど、
もう数分経っていて、
そこまで熱いとは思えないのに…

私が黙っていると、
モモちゃんはいったんテーブルまで戻って、
もう一度レンジまでやってきて、
お皿を出し、テーブルに運んでいった。

私がほっとしていると、
モモちゃんの声がした。

「コロッケがない」

エッ

ないわけないっしょ?

お皿にのせてレンジに入れたコロッケが…
どこかに落としたとか…?

あたりを見渡して、
コトの真相がわかった私は、
ゾッとした。

モモちゃんは
「ここに置くから自分でお皿にのせて」と言った、
私の言葉がよくわからなかったのか、
コロッケをお皿にのせずに、
カラッポのままお皿だけ温めていた。

自分でお皿にのせるのが難しかった場合、
いつもならそこで「できない」と訴えるんだけど、
その日はお皿がカラッポのまま、
「温めスタート」をしてしまったらしい。
何ものっていないお皿は熱くなって、
モモちゃんには持てないほどになってしまった。

やけどしたり、
熱いお皿を落としたりしなくてよかった…
とは思ったけれど、
コロッケをのせないまんまでレンジに入れたこと、
レンジから出すときもそれに気づかず、
食べようとしてから
「コロッケがない」と言ったこと、
そんなの、今までにないことだった。

モモちゃんでなければ、
「なにやってんのよー」と笑い話かもしれないけど、
モモちゃんは今、ほとんど目が見えていない。
食べる寸前まで、
コロッケがお皿にのっているかどうか、
わからないくらいに、白内障はすすんでいる。
そのうえ、
自分自身が「コロッケをのせたかどうか」を、
モモちゃんはわかっていなかった。

これから全盲になってしまったとして、
手探りでどこまでやっていけるか、
それは暮らしの質にかかわってくる。
モモちゃんは
目が見えない状態を
自分で補うことがどのくらいできるのかな…

とはいっても、
私にだって、
たぶんできないことがどんどん出てくるだろう。

補いあって暮らせるように、
そういうふうな暮らしができるように、
少しずつ足したり減らしたりしなくちゃ…

これまでと同じとはいかないけれど、
補いあいながらだったら、
これからも何とかなる…かもしれない。

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