運命は変えられないかもだけど手を繋ぐことはできる
次男くんがまだ小学生だったころのこと、
私は学校から配布されたプリントの山と格闘していた。
学校からの連絡といえば、
最近は保護者専用サイトに誘導されるけど、
2014年当時はまだ、紙、紙、紙だった。
リビングで、のんきにテレビを観ている次男くんに、
「こ、このプリントは半月前に配られとるやないか…」などと、
ふつふつ怒りがこみあげたりしていた。
そんなとき聴こえてきた音楽に、
私は顔を上げた。
ダイニングテーブルからリビングの次男くんに、
ほとんど怒鳴るように尋ねる。
「それ、誰? 何?」
次男くんは面倒くさそうにコッチを向いたあと、
テレビ画面に目を戻して言った。
「いきなり誰って、ナニ!?
何って、なんのこと?」
私はテレビの前まで行って、画面を指さした。
私「これ何?」
次男くん「ナルトだけど」
私「誰の曲?」
次男くん「あー、オープニングのこと?」
私「誰?」
次男くん「えーと、KANA-BOON、かな?」
私「カナブン…かあ…」
高校から大学にかけては、
洋楽の音楽雑誌が部屋に山積みだった私は、
長い長いブランクを経て、
2012年くらいから少しずつ、
邦楽の音楽雑誌を買うようになっていた。
昔は海外のミュージシャンが、
ステージでどれだけ過激に暴れたかとか、
そんなのを見て「やってる、やってる」とかいって
おもしろがっていたものだけど、
久しぶりに手にとった音楽雑誌に載っている邦楽のミュージシャンは、
どちらかというと、
真摯に音楽性や人生を語っていた。
で、
2015年の春の号には、
KANA-BOON谷口鮪の2万字インタビューが載った。
ゲスの極み乙女。の川谷絵音との2本立てだった。
す、すごいな、この2本立て。
…と呟きながらロッキング・オン・ジャパンを買った、
当時の私が目に浮かぶようだ。
KANA-BOON谷口鮪は、
実の親との絆が薄い、
かなり複雑な家庭環境で育ち、
バンドを結成したときの環境も「荒れた高校」だったらしい。
でも軽音楽部の顧問の先生が熱血で、
懸命に世話をしてくれたのが、
バンドを続けていくうえで大きかったそうだ。
私はこの話がとても好きだった。
その先生は、
軽音楽部の部員のためだけに、
「自分の好きな英語詞の曲を和訳しろ」なんて課題を出したり、
グラウンド走り込みをさせたりしたという。
グラウンド走り込みはのちに、
ハードなライブツアーを乗り越える土台にもなる。
こうしたバックボーンを知ると、
曲を聴いていても、
歌詞の言葉選びなどに、
何となく「そうなのかな」と思うことが増えた。
本当はどうなのかわからないけど、
ミュージシャンの辿ってきた道のりを想像しながら、
曲を聴くことができた。
10代20代でも、そうしていたように。
2015年ごろから数年の私はといえば、
父が入院し、
母とモモちゃんのふたり暮らしが広島で始まって、
「そろそろ、本当に本当に限界がくる」と、
常に背中のあたりが寒々しい状態だった。
父がいつ、この世を去るかもしれない。
母とモモちゃんのふたりだけだと、
ケンカをとめる人もいないし、
モモちゃんのお世話は全部母がするから、
いろんな意味で限界がきてしまうだろう。
私は広島で自転車を買い、
父が入院している病院へと、
新幹線→在来線の最寄り駅→自転車で通うようになっていた。
行くたびに
「今日で、お別れかもしれないな…」と思った。
危篤の知らせがあってから広島に向かっても、
片道3時間の距離だから、間に合わないかもしれない。
かといって、
広島に詰めるわけにもいかない。
母もよくパニックになって電話をかけてきた。
モモちゃんにかわってもらうと、
泣いていて話にならないことも多かった。
広島から帰ってキッチンに立つ。
母やモモちゃんと電話して、またキッチンに立つ。
家に帰っても、
やらなくてはいけないことは待っているわけだから、
泣いているヒマもない。
中学生になった次男くんは、
よくダイニングでゲームをしたり、
スマホで遊んだりしていた。
自分の部屋があるのに、
ご飯の前も後も、ダイニングにいた。
バタバタしている私のことを、
とくに手伝うということもなかったけど、
よく鼻歌をうたった。
小さいころとはちがって、
友だちの影響なのか、
少しずついろんな曲を知って、
カラオケなんかにも行きはじめていたと思う。
私「今のKANA-BOONの曲?」
次男くん「正解」
私「なんでもねだり?」
次男くん「惜しい! ないものねだり、でしたあ」
中学生になると、
次男くんの部活はそれなりにハードだったし、
私は2年間、広島の病院への往復を続けて、
一緒にいる時間も短くなった。
でも家にいるといつも次男くんは、
私が料理をつくっているキッチンの
すぐそばのダイニングで鼻歌を歌っていた。
彼にとっては「おばあちゃん」との
電話での会話は聞こえていただろうから、
事情はほぼ察していたと思うけど、
それについてはお互い、何も言わなかった。
私は次男くんの鼻歌を聴いては、
「曲名あてクイズ」を続けていた。
「曲名あてクイズ」をしてる間は、
父と母とモモちゃんが
この先どうなるのか、
少しの間、忘れることができた。